わたくしは44歳までグラフィックデザイナーでした。(おお~ 三流でも聞こえがエエな~)
センスが良いからとか絵に自信が有って選んだ訳では無く、気楽なんじゃないのぉ? 一人でも出来るんじゃないのぉ? と、純粋に自分に出来そうな仕事として選択した訳です。
時はバブル前からバブル全盛とバブル後、仕事に困る事は無く、気に食わない仕事は断ってました。m(__)m スンマセン ナマイキナコトデシタ
今思えば有り難い時代だったんですな~
そんな遊び半分の仕事をしてた '82年? '83年? 頃、初めて乗ったバイク(
TY50)が楽しくて楽しくて、あっちの林道こっちの林道と走り回ってたんですよね~
したら、ある沢沿いの道でとんでもない事をしている奴らが(笑)居たんですよ。
バイクでゴロゴロ岩の沢の中を走ってみたり、斜面をブンッと上って木の間をクルリと回ったり、自由自在に走り回ってるんです。
バイクに乗り始めたばかりの私は「おお~ バイクをこんなに自由自在に扱えれば安全運転ができるな~」と、感心して帰ったのでした。
で数週間後、「そう言えばとんでもない事をしている奴らが居たな~」と思い出し。再びその林道に行ったんですよね。
したら、軽トラにバイクを積んでる人がいたんで声をかけたんです。
「もう終わり?」
「はい」
「このバイク(TY50)に乗ってみてくれへん?」
「そのバイクでは無理です」
「同じ形をしてるやん」
と、トライアルを知らない私が無理難題をお願いしてるところに、もう一台の車が上がってきました。
当然二人は顔見知りの様で、私は無理難題をお願いしてた方(当時ジュニアに上がったばかりのK原崎さん)の友達だと思われたようです。
「今度生駒で近畿選手権が有るねん。見に来たら?」
「山本昌也のテクニック本が有る。要る?」
等々、親し気に何だか訳の分からない事を仰る。山本昌也って誰やねん。(笑)
がしかし、面白そうだ。
生駒の地図を書いて貰いテクニック本の予約をした。
で、そのテクニック本を受け取りに行った時の事か?
「ところで何の仕事をしてるん?」
「グラフィックデザインです」
「ボク近々店を出すねん。ロゴを作ってくれへん?」
「いいですよ」
と、軽く考え軽く返事をして作ったロゴがこれです。
その時は一生懸命?に考えたロゴだったのですが、
トライアルジャーナルが創刊され、その広告に使われたりしてるのを見ると・・・
「アカンな~」
「オレってやっぱりセンス無いな~」
と、ズーット気にしてたんです。
んで数年後、現在のロゴに替えられたんです。
おお~ カッコ良くなった。
良かった~ と思ってたんですが、後日お会いした吉川さんは申し訳なさそうな顔をされてました。
吉川さん、申し訳なかったのはコチラです。