M.F.J.のライセンスが出てきたので、ちょっと自慢しておきます。(笑)
そんなに試合に出てた訳では有りませんが、何のかんのとお世話になってたTOM'Sさんの試合には出るようにしてました。
'87年 ノービスですよあーた。
これが初めて取得したライセンスかも知れませんね~
泡立つ麦茶を飲むために集まっていた?のですが、継続は力なりで皆さんドンドン上手になり、ライセンス無しで亀岡で優勝したりジュニアに昇格する方が居たり(最初の昇格はKOさんだったか?)で、「オレも試合中に泡立つ麦茶を飲んだりせずに真面目に走らんとアカンな~」と・・・
真面目に走りました。(笑)
この後、あの伝説の近畿選手権があったのです。
小学生?の黒山健一君がオールクリーン出来ずに悔しがってた試合で110~120点叩き出したオレ。
やるな~ (´;ω;`)オトコダゼ~
6 件のコメント:
昔から指名手配犯の顔をしていたのですね~(笑)
ワタヤン、しまったー!
何時もの阿部寛の顔にしておけば良かったー( ´艸`)
イェーイ、かっこいいじゃないですか!
たった1年で昇格していたんですね、なぜ、IBを目指さなかったんですか??
始の頃はケンちゃんにも勝っていた時があったんじゃないですか?
今となってはケンちゃんの孫に勝つことができるかどうかですね。
今も片鱗をうかがわせる時がありますね。
今ど目に墨を入れて走ってくださいね。
匿名さん、たった1年では有りません。
黒山家の二郎君?の息子さん(一番下?)は抱っこした事があります。
2年ほど前の事ですので、もう100%勝てません。
ちゅうか、当時の倶楽部員のほとんど?はA級に昇格しました。
ハッキリ覚えてませんが、当時は参加人数が15人以上で一人昇格、30人以上で2位までが昇格だったんじゃないでしょうか。
それに比べて、国際B級はポイント制なので全戦追いかける努力と熱意も必要になります。
当然お金も時間も必要になります。わたしにはどちらも有りませんでした。
私の熱意は泡立つ麦茶とみんなでワイワイ騒ぐ事だったのです。( ´艸`)オモシロカッタナー
Takesan、片鱗ですか・・・
片鱗なのねー(´;ω;`)ウゥゥ
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