2021年11月18日木曜日

グラフィックデザイナー

わたくしは44歳までグラフィックデザイナーでした。(おお~ 三流でも聞こえがエエな~)
センスが良いからとか絵に自信が有って選んだ訳では無く、気楽なんじゃないのぉ? 一人でも出来るんじゃないのぉ? と、純粋に自分に出来そうな仕事として選択した訳です。
時はバブル前からバブル全盛とバブル後、仕事に困る事は無く、気に食わない仕事は断ってました。m(__)m スンマセン ナマイキナコトデシタ
今思えば有り難い時代だったんですな~





そんな遊び半分の仕事をしてた '82年? '83年? 頃、初めて乗ったバイク(TY50)が楽しくて楽しくて、あっちの林道こっちの林道と走り回ってたんですよね~
したら、ある沢沿いの道でとんでもない事をしている奴らが(笑)居たんですよ。
バイクでゴロゴロ岩の沢の中を走ってみたり、斜面をブンッと上って木の間をクルリと回ったり、自由自在に走り回ってるんです。
バイクに乗り始めたばかりの私は「おお~ バイクをこんなに自由自在に扱えれば安全運転ができるな~」と、感心して帰ったのでした。

で数週間後、「そう言えばとんでもない事をしている奴らが居たな~」と思い出し。再びその林道に行ったんですよね。
したら、軽トラにバイクを積んでる人がいたんで声をかけたんです。
「もう終わり?」
「はい」
「このバイク(TY50)に乗ってみてくれへん?」
「そのバイクでは無理です」
「同じ形をしてるやん」
と、トライアルを知らない私が無理難題をお願いしてるところに、もう一台の車が上がってきました。
当然二人は顔見知りの様で、私は無理難題をお願いしてた方(当時ジュニアに上がったばかりのK原崎さん)の友達だと思われたようです。
「今度生駒で近畿選手権が有るねん。見に来たら?」
「山本昌也のテクニック本が有る。要る?」
等々、親し気に何だか訳の分からない事を仰る。山本昌也って誰やねん。(笑)
がしかし、面白そうだ。
生駒の地図を書いて貰いテクニック本の予約をした。

で、そのテクニック本を受け取りに行った時の事か?
「ところで何の仕事をしてるん?」
「グラフィックデザインです」
「ボク近々店を出すねん。ロゴを作ってくれへん?」
「いいですよ」
と、軽く考え軽く返事をして作ったロゴがこれです。







そう。TOM'Sの吉川さんだったのです。

その時は一生懸命?に考えたロゴだったのですが、トライアルジャーナルが創刊され、その広告に使われたりしてるのを見ると・・・
「アカンな~」
「オレってやっぱりセンス無いな~」
と、ズーット気にしてたんです。

んで数年後、現在のロゴに替えられたんです。






おお~ カッコ良くなった。
良かった~ と思ってたんですが、後日お会いした吉川さんは申し訳なさそうな顔をされてました。
吉川さん、申し訳なかったのはコチラです。


12 件のコメント:

ホワイト さんのコメント...

そうだったのか!
凄いデザイナーだったんですね!!!
burratoさんのデザインもよかったですよ!
でも、今の方がおしゃれですね。
新しいデザインに代わっていたのを知らなかった。

buratto28go さんのコメント...

ホワイトさん、デリカシーの無い人ですね~(笑)
わざわざそう言う事を書いてくれんでも良いですって。
自分でもそう思ってますが他人に言われるのはちょっと・・・(´;ω;`)ウゥゥ ツライ

Takesan さんのコメント...

人に歴史有りですなぁ。
物を作れる人はええなぁ〜と思います。
しかも自分一人でゼロから作るってすごい事です。
いまも、burattoデザインは何処かで使われているのでしょうね。
何あれ?なんか変?
ぅうッキモ! とか、、、。

buratto28go さんのコメント...

Takesan、キモイって言うな~~~~!(笑)
長い間、京都市美術館が私のデザインしたハガキを使われてましたが、今はもう分かりません。
キモイ・ダサい、デザインですからね~
オー(´▽`) ホッ(´▽`) ホッ(´▽`) ホッ

ワタヤン さんのコメント...

元グラフィックデザイナーでしたか。
今のTLRの仕上がりを見ても当時からセンスが良かったのが良く分かります。
風の噂ですが、ロゴを変えてからTOM'Sの売り上げが上がったとか(笑)

buratto28go さんのコメント...

わーはっはははははは ワタヤンそうなんですよ~
儲かって儲かって紫明通りに引っ越されましたからね~
これもダサイロゴからカッコイイロゴに変わった反動です。最初にダサイロゴを作った私のお陰ですな~ 私の策略通りです。(笑)
と、TLRのやれ感を出すのに苦労しました。特にタンク。惚れ惚れしますよね~
オークションに出したら入札が殺到するだろうな~
あー怖い怖い。( ´艸`)オーホッホッホッ

も@京都 さんのコメント...

なるほど、例の「押し」の漫画絵を見て、なんかそっち系かと思っていましたが、合点がいきました。バブル期にはブイブイ言わせてたんでしょうね。

ちなみに私は44歳まで「研究開発者」でした。
その後は・・・手も動かさず、口先だけで生きてます。(笑)

buratto28go さんのコメント...

も@京都さん、でしたか~
どうりで言動が賢いです。あやかりたいあやかりたい。
ちゅうか、ブイブイ言わせてたのはバイクだけで「押し」の記事のままです。仕事そっちのけで遊んでました。
マッキントッシュを舐めてたのね~(笑)

も@京都 さんのコメント...

私の最初の Mac は Performa 575 でした。
今ではWinTell機と全く変わらないハードウェア、BSD系の Unixベースの OSになりましたね。

buratto28go さんのコメント...

も@京都さん、そう言う話が全く分からないのですよ。
私の時代は写植・版下の時代ですので、今の原稿の作り方や印刷はチンプンカンプンです。
マッキントッシュが出て来て暫くは平和でしたが、'90年代半ば頃から?先ずは写植屋さんがドンドン潰れ、その後私たちアナログデザイナーの廃業になりました。
印刷技術の進化は早かったです。
これからはエンジン技術ですね~
無くなるのか生き残るのか・・・

も@京都 さんのコメント...

学生時代、某大学生協の機関誌を作っていたころは、手書き・オフセット印刷でしたし、ガリ版刷りもさんざやりました。すっち(刷る)・おっち(折る)・ほっち(ホッチキス止め)などの言葉を思い出しました。紙詰まり防止のために空気を含ませる紙捌きなんかもお手の物でしたよ。また、ロットリングではなくステッドラー派でした。手書きスクリーントーンとかもよくやってました。ステンシルもよく使いました。
それと、私たちの世代ぐらいが卒論を手書きした最終学年でした。そのあとの学年からはワープロ専用機やPC98のユーカラとかを使ってました。ほぼ徹夜をして最終原稿を書き直したのが、とても懐かしいです。

buratto28go さんのコメント...

も@京都さん、アナログだな~(笑)
私が印刷会社に入った頃は写真製版ですが、石版時代の製版?をやっておられたお爺ちゃんが下働きとして残っておられました。
昔の職人さんが下働きです。ちょっと悲しく申し訳ない気がしたものです。
私の時代も重たいジンク版から軽いアルミ版プラスチックのPP版と目まぐるしく変わりました。早かったです。
で、版下は技術職なので無くなるなんて思いもしなかったんですが、コンピューターは遥か上に越えてました。(笑)
2005年頃になって初めてイラストレーターを触ってみたんですが、こりゃ勝てんわと驚いたものです。
アナログで難しかった事が自由自在に出来ますものね。
今は音楽もイラストもコンピューターで出来ているようですね~
楽器を買うならパソコンを買え!と言うそうです。
凄い時代だわ~ (´▽`)