皆さんご存知のように(知らん知らん)わたくしが初めて乗ったバイクは中古の
TY50でした。
それがもう、楽しくて楽しくて、面白くて面白くて、どうやらこれは山を走る専用バイクのようだ。(違う違う ただのタウンバイクや)
と、直ぐに国土地理の地図を買って山道(違う違う ただの未舗装路や)を探しまくり、昨日はアッチ今日はコッチと走り回る訳です。
四ツ谷川沿いもよく走りました。(現在は墓場から先は入れませんが当時は自由に走れたんです)
しかし、如何に国土地理院地図とは言え間違ってる事も有るのです。
穴太から壺笠山城への道は実線(幅員1.5~2.5mの道路)になってますので、どう見たって走れる。
地図の赤丸の所。
地図通りだと此処から壺笠山城まで一直線なのですが、どうも違う。何か違う。地図では北西に行く筈が南へ向かっているような・・・
で結局、ここから壺笠山城へは行けませんでした。
壺笠山城へ行ったのはTLM200に乗り出した'86年以降の事だろうと思います。それも四ツ谷川沿いの林道からでした。
林道からの上りは、当時は切通し?法面?が今より緩やかで(1990年代後半に少し削られたようで、切通し?が深く、法面?が急になったようです。)簡単に城跡まで行けました。
この城跡への道が大津の穴太と京都の一乗寺を結ぶ古道白鳥越(青山越)で、城跡から京都側に少し走ると女人結界の石碑があり、さらに進むと右側が削られた壁になりハンドルの端が当たりそうなってました。ハンドルが当たると絶対左にバランスを崩し転落しそうです。もう少しで比叡山ドライブウエイに出られそうなんですが、落ちたら死ぬ?ので此処で撤退。
と言う事で、今まで国土地理院地図の実線の道は無い!と諦めていたんですが、先日
q10trialさんのブログで・・・
白鳥越(ハクチョウゴエ)~壺笠山(ツボカサヤマ)を目指す事に成った。
道はそれほど難所もなく楽しく走れた、ヤブも思っていたよりも煩くない。
最後に少し難所らしき処があったが、まぁこれくらい無かったら...
と言うレベルだった。
壺笠山は古城、山城跡だと言う。
なるほど道理でそこらじゅうに石が沢山転がっているなぁ~と思っていた。
壺笠山(ツボカサヤマ)
比叡山の東麓、坂本(大津市)辺りからこの山を望むと、
壺を置いたような山容がひときわ目につく。
主稜線から湖岸へ下る尾根の末端だけに見通しもよく、
山城を設けるには最適の地であったようだ。
しかも、白鳥越の古道が通る重要な位置だけに、
青山と共に歴史にも数多く登場する。
古くは1336(建武3)年、比叡山に立て篭もる後醍醐天皇と、
比叡山を取り巻いた足利尊氏が、
戦の際に白鳥越に軍を進めたことが記録に残っている。
このときは四ツ谷川を挟んで対戦し、平子谷が数百人の死者で埋まったという。
また、1570(元亀元)年に延暦寺の支援を受けた浅井・朝倉連合軍は,
湖西路を南下し、
「はちヶ峰・青山・壺笠山に陣取」り、織田信長方(宇佐山城)と対峙した。
さらに逢坂山を越えて醍醐や山科を放火したと言う。
このとき摂津の三好三人衆と戦っていた信長本人は、
急きょ京都に戻り、白鳥越で布陣した。
北白川城でも連合軍に対処したといわれている。
白鳥越(ハクチョウゴエ)
白鳥越は別名青山越とも呼ばれ、大津市穴太から比叡山無動寺の南を通り、
青山・壷笠山・白鳥山を経て、
京都市の修学院一乗寺に至る、近江と京都を結ぶ古道で、
室町時代まで盛んに往来があったと言う。
なんですとー!
やっぱり壺笠山城への道は有るのか!?
と、地図を調べなおしたところ、入り口だと言い張ってた赤い点の所の写真の右端に少し写ってる砂防堤の右側に道が有ったようだ。
こうなったら確かめに行きたいが、バイクは止めた状態だし歩くのは自信がない。
今となってはネットと地図を頼りに調べるしかないな~
と思う、軟弱な今日この頃です。(*´σー`)エヘヘ