1974年 カワサキ KT250(輸出専用車)
1975年 カワサキ 250TX(国内販売モデル)
カワサキの契約ライダー、ドン・スミスの協力により開発されたカワサキ唯一のトライアル車。
'74年にKT250として主に輸出用として発売され、'75年に名前を250TXと変更して国内販売されましたが、ナンバーの取れないコンペモデルであったためほとんど売れなかったようです。
全長2.015 全幅835 全高1.155 軸距1.305(各㎜) 車重96kg 空冷2サイクル 単気筒(ピストンバルブ) 246㏄ ボア・ストローク69.5×64.9㎜ 圧縮比6.5 最高出力16.0ps/6.500rpm 最大トルク1.90kgm/4.000rpmh 始動キック 前進5段リターン サスペンション前テレスコピック 後スイングアーム タイヤ寸法前2.75-21 後4.00-18
私はバイクに乗り始めたのが遅く(30歳頃)、現役で走っている姿は見た事がありません。
初めて実車を見たのは、亀岡トライアルランドの森さんのコレクションでした。
当時亀岡で開催されていたプレ83(TLR以前のモデル?)と言う大会でオブザーバーをして頂いた時、セクション間の移動用としてKT250に乗っておられたのです。
当日は朝から雨模様でしたので、こんな天気にこんな貴重なバイクに乗っていいのかなと・・・?
思った次第でした。
2013年9月8日日曜日
2013年9月3日火曜日
スズキ RL250
1974 スズキ RL250
クロームモリブデン鋼のセミダブルクレードルフレーム、アルミ製のタンクなどにより軽量化された車体は95kg。TM250ベースのピストンバルブ吸入式の単気筒エンジンは、低速域でフレキシブルな特性を示した。
全長2.025 全幅840 全高1.140 軸距1.340(各㎜) 車重95kg 空冷2サイクルt単気筒 (ピストンバルブ)246㏄ ボア・ストローク70.0×64.0㎜ 圧縮比6.0 最高出力17.0ps/6.000rpm 最大トルク2.10kgm/5.000rpm 始動キック 前進5段リターン サスペンション前テレスコピック 後スイングアーム タイヤ寸法前2.75-21 後4.00-18 現金価格28万円
1974 スズキ RL250L
保安部品を取り外した競技専用のトライアルマシン。RL250とまったく同じスペックだが、保安部品を外したぶん、5kg軽い90kgに仕上がっている。ハンドリングの軽い、扱いやすいマシ
ンであった。
全長2.035 全幅850 全高1.130 軸距1.340(各㎜) 車重90kg 空冷2サイクル 単気筒(ピストンバルブ) 246㏄ ボア・ストローク70.0×64.0㎜ 圧縮比6.0 最高出力17.0ps/6.000rpm 最大トルク2.10kgm/5.000rpm 始動キック 前進5段リターン サスペンション前テレスコピック 後スイングアーム タイヤ寸法前2.75-21 後4.00-18 現金価格28万円
モーターサイクリスト1987年臨時増刊「国産モーターサイクル戦後史」より
TLR200('83年4月13日発売)が軽二輪の販売トップになった頃の事です。
バイク屋さんで会ったスズキの営業さんが、「うちも間もなくトライアル車を出しますので宜しく!」と仰っていました。
「おお~ 嬉しいな~ スズキが復活か~」と期待して待っていたのですが・・・
'84年ヤマハからTY250R/Sが発売されるや、時代は一気に一本サスになり、試合会場はヤマハのバイクで真っ白になってしまいました。
間もなく、ライバルのホンダもRTL250S、TLM200と一本サス車を投入し、2本サスのトライアル車はあっという間に時代遅れになったのでした。
で、ご存知のようにスズキのトライアル車は出ませんでした。
想像ですが、TLR200の対抗車として2本サスで開発してたんじゃないでしょうか?それがTY250R/Sの出現で出せなくなってしまったんじゃ・・・?
もしTY250R/Sの発売が'85年だったら、'84年モデルのスズキRL250?が存在してたかも知れません。
そして、そのバイクがヒットしていれば、スズキは今でもトライアル車を作っているかも・・・
と、秋の夜長に妄想してます。
クロームモリブデン鋼のセミダブルクレードルフレーム、アルミ製のタンクなどにより軽量化された車体は95kg。TM250ベースのピストンバルブ吸入式の単気筒エンジンは、低速域でフレキシブルな特性を示した。
全長2.025 全幅840 全高1.140 軸距1.340(各㎜) 車重95kg 空冷2サイクルt単気筒 (ピストンバルブ)246㏄ ボア・ストローク70.0×64.0㎜ 圧縮比6.0 最高出力17.0ps/6.000rpm 最大トルク2.10kgm/5.000rpm 始動キック 前進5段リターン サスペンション前テレスコピック 後スイングアーム タイヤ寸法前2.75-21 後4.00-18 現金価格28万円
1974 スズキ RL250L
保安部品を取り外した競技専用のトライアルマシン。RL250とまったく同じスペックだが、保安部品を外したぶん、5kg軽い90kgに仕上がっている。ハンドリングの軽い、扱いやすいマシ
ンであった。
全長2.035 全幅850 全高1.130 軸距1.340(各㎜) 車重90kg 空冷2サイクル 単気筒(ピストンバルブ) 246㏄ ボア・ストローク70.0×64.0㎜ 圧縮比6.0 最高出力17.0ps/6.000rpm 最大トルク2.10kgm/5.000rpm 始動キック 前進5段リターン サスペンション前テレスコピック 後スイングアーム タイヤ寸法前2.75-21 後4.00-18 現金価格28万円
モーターサイクリスト1987年臨時増刊「国産モーターサイクル戦後史」より
TLR200('83年4月13日発売)が軽二輪の販売トップになった頃の事です。
バイク屋さんで会ったスズキの営業さんが、「うちも間もなくトライアル車を出しますので宜しく!」と仰っていました。
「おお~ 嬉しいな~ スズキが復活か~」と期待して待っていたのですが・・・
'84年ヤマハからTY250R/Sが発売されるや、時代は一気に一本サスになり、試合会場はヤマハのバイクで真っ白になってしまいました。
間もなく、ライバルのホンダもRTL250S、TLM200と一本サス車を投入し、2本サスのトライアル車はあっという間に時代遅れになったのでした。
で、ご存知のようにスズキのトライアル車は出ませんでした。
想像ですが、TLR200の対抗車として2本サスで開発してたんじゃないでしょうか?それがTY250R/Sの出現で出せなくなってしまったんじゃ・・・?
もしTY250R/Sの発売が'85年だったら、'84年モデルのスズキRL250?が存在してたかも知れません。
そして、そのバイクがヒットしていれば、スズキは今でもトライアル車を作っているかも・・・
と、秋の夜長に妄想してます。
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トライアル
2013年8月18日日曜日
ゲッツ!(全日本 夏のこっそりソロツーリング)
暑い!けど、「全日本 夏のこっそりソロツーリング」に行ってきました。
ガソリンが少なかったので、こっそりスタンドに立ち寄ったところ、1京都さんとばったり!続いてホワイトさん、イーハトーブさんが登場。
まるで待ち合わせをしたかのような偶然です。
で、政治経済と日本の行く末を語り合い出発。
何時ものコースを走って瀬田川を渡り龍谷大学前の信号。ここでtakesanさんとばったり合流。
このまま偶然が重なれば、信楽に着く頃には800人くらいの集団になるかも知れない。
ソロツーリングなのに、800人での集団ツーリングになると困るので、これ以上誰にも合わないように山へ入る。
ふーっ!なんとか5人だけで金勝山の駐車場に到着。
助かった。
駐車場下のサルナシ。
今年はいい感じです。
昼も近くなったので、金勝寺から阿星山を通ってコンビニを目指します。
途中のサルナシです。
例年たくさん実ってる場所なんですが、今年はポツリポツリ。
石部高校近くのコンビニでよく冷えたノンアルコールビールをグッと飲み干し、弁当を買って再び山へ。
去年サルナシが鈴なりだった沢沿いで昼食にしたのですが、残念ながらサルナシは見当たらず。
変わりに?少し上った新たな場所に・・・
鈴なりです。
が、高過ぎて採れないか・・・?
昼食後、信楽を目指します。
とっ!!
み、道が無い!!
俺は匠スペシャルで飛ぶ!
いや!俺はマジックジャンプで飛ぶ!
いやいや!俺はダニエルで飛ぶ!
いやいやいや!俺は一度下へ飛び降りてから上がる!
と、喧々諤々の協議の結果、写真右側の僅かに残った部分を、足を付きながら渡るので有りました。
ここも去年鈴なりだったところです。
どうも去年鈴なりだったところは駄目で新たなところばかりが鈴なりです。
しかし今日は喉が渇く日だ。
信楽のコンビニでノンアルコールビールとアイスクリームを補給。いよいよクルミ沢へ。
クルミ沢入り口でキウイらしき葉っぱを見かけ近づくと・・・
キウイですがな。見落としてました。
しっかしなんです。なんでこの辺りの山にはキウイが生えるかな~
こちらは何時もの場所でイーハトーブさんが採集されたキウイ。
クルミは不作のようです。
皆さんに手伝って頂いてこれだけです。
と・・・
油圧の木に生っていた部品です。
いい感じに熟してます。
って、1京都さんに頂いた、かの国の部品です。これで一生油圧クラッチを維持できます。
1京都さん有難うございました。
また今日一日ツーリングに付き合って頂いた皆さんご苦労さまでした&有難うございました。
また何処かで偶然お会いできればと思います。
ガソリンが少なかったので、こっそりスタンドに立ち寄ったところ、1京都さんとばったり!続いてホワイトさん、イーハトーブさんが登場。
まるで待ち合わせをしたかのような偶然です。
で、政治経済と日本の行く末を語り合い出発。
何時ものコースを走って瀬田川を渡り龍谷大学前の信号。ここでtakesanさんとばったり合流。
このまま偶然が重なれば、信楽に着く頃には800人くらいの集団になるかも知れない。
ソロツーリングなのに、800人での集団ツーリングになると困るので、これ以上誰にも合わないように山へ入る。
ふーっ!なんとか5人だけで金勝山の駐車場に到着。
助かった。
駐車場下のサルナシ。
今年はいい感じです。
昼も近くなったので、金勝寺から阿星山を通ってコンビニを目指します。
途中のサルナシです。
例年たくさん実ってる場所なんですが、今年はポツリポツリ。
石部高校近くのコンビニでよく冷えたノンアルコールビールをグッと飲み干し、弁当を買って再び山へ。
去年サルナシが鈴なりだった沢沿いで昼食にしたのですが、残念ながらサルナシは見当たらず。
変わりに?少し上った新たな場所に・・・
鈴なりです。
が、高過ぎて採れないか・・・?
昼食後、信楽を目指します。
とっ!!
み、道が無い!!
俺は匠スペシャルで飛ぶ!
いや!俺はマジックジャンプで飛ぶ!
いやいや!俺はダニエルで飛ぶ!
いやいやいや!俺は一度下へ飛び降りてから上がる!
と、喧々諤々の協議の結果、写真右側の僅かに残った部分を、足を付きながら渡るので有りました。
ここも去年鈴なりだったところです。
どうも去年鈴なりだったところは駄目で新たなところばかりが鈴なりです。
しかし今日は喉が渇く日だ。
信楽のコンビニでノンアルコールビールとアイスクリームを補給。いよいよクルミ沢へ。
クルミ沢入り口でキウイらしき葉っぱを見かけ近づくと・・・
キウイですがな。見落としてました。
しっかしなんです。なんでこの辺りの山にはキウイが生えるかな~
こちらは何時もの場所でイーハトーブさんが採集されたキウイ。
クルミは不作のようです。
皆さんに手伝って頂いてこれだけです。
と・・・
油圧の木に生っていた部品です。
いい感じに熟してます。
って、1京都さんに頂いた、かの国の部品です。これで一生油圧クラッチを維持できます。
1京都さん有難うございました。
また今日一日ツーリングに付き合って頂いた皆さんご苦労さまでした&有難うございました。
また何処かで偶然お会いできればと思います。
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ツーリング
2013年8月14日水曜日
ポインターが・・・
「ん?れ?ポインターの動きがおかしいな~」と思ってたら、結局止まったまま動かなくなりました。
で、マウスのコードを押したり引いたりしてみたら・・・
ランプが点いたり消えたりします。
こりゃ~ 断線オールナイトだがね~
ちょん切って中の線を出したところです。
この状態でテスターを当てても導通が有りませんので、この線はハンダの熱で絶縁体が剥がれるもののようです。
となると、予備ハンダをして絶縁体を剥がさなければならないんですが、予備ハンダをすると太くなって基板の穴を通らないんじゃないのか?と思ってしまい(間違いです)、そのままハンダ付けをしました。
絶縁されているのでハンダは載らないし、コテを当てる時間が長くなって基板のパターンが剥がれないかと心配になるしで、非常にみっともないハンダ付けになりました。
ちゅうか、年齢とともにヘタになってる様にも思います。
とは言え、なんとか修理できました。(嬉)
で、マウスのコードを押したり引いたりしてみたら・・・
ランプが点いたり消えたりします。
こりゃ~ 断線オールナイトだがね~
ちょん切って中の線を出したところです。
この状態でテスターを当てても導通が有りませんので、この線はハンダの熱で絶縁体が剥がれるもののようです。
となると、予備ハンダをして絶縁体を剥がさなければならないんですが、予備ハンダをすると太くなって基板の穴を通らないんじゃないのか?と思ってしまい(間違いです)、そのままハンダ付けをしました。
絶縁されているのでハンダは載らないし、コテを当てる時間が長くなって基板のパターンが剥がれないかと心配になるしで、非常にみっともないハンダ付けになりました。
ちゅうか、年齢とともにヘタになってる様にも思います。
とは言え、なんとか修理できました。(嬉)
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家電修理
2013年8月12日月曜日
信楽街道
昨日の京都は39℃!街中を走ってるとヒートウェーブで火傷しそうでした。
いくら辛抱強い私でも39℃は駄目です。
で、少しでも涼しい場所を求めて、宇治田原町内の信楽街道を走ってみました。
天正10(1582)年6月2日の本能寺の変のおり、信長の招きで堺に逗留していた徳川家康が急ぎ領国を目指した道だそうです。
糠塚から大道寺への道沿いに祭られているお地蔵様。
湯屋谷へ下りる黒豆坂です。
湯屋谷は和同二年(709)に温泉が湧き出し、多くの「湯屋(温泉)」が有ったのでこの地名になったようです。
当時の泉質は温和で塩分を帯び持病を治す効能があったとか・・・
湯屋谷の塩谷を通るルートと石詰を通るルートの合流地点です。
昔は此処から先へは進めなかったんですが・・・
山の中なのに何故かこの辺りだけアスファルト舗装されてます。
雰囲気は良いんですが、ちょっと気持ちの悪い?場所でした。
松峠です。
6本の道が集まってて、どれも気になります。
以前だったら100パーセント突入してたんですが、まいっか!とやり過ごす、お茶目な年頃になりました。
峠からの下りです。
旧道らしい良い雰囲気がでてますね~
この坂を下ると奥山田の宮村。あとは川上を通って茶屋村で国道に出るんですが、川上から茶屋村間は新道になっており、旧道は走破できませんでした。
心残りです。
茶屋村から以東は、茶屋トンネルが出来て裏白峠の道が閉鎖されたので、旧道を辿るのは茶屋村までです。
ほな!さいならー!
いくら辛抱強い私でも39℃は駄目です。
で、少しでも涼しい場所を求めて、宇治田原町内の信楽街道を走ってみました。
天正10(1582)年6月2日の本能寺の変のおり、信長の招きで堺に逗留していた徳川家康が急ぎ領国を目指した道だそうです。
糠塚から大道寺への道沿いに祭られているお地蔵様。
湯屋谷へ下りる黒豆坂です。
湯屋谷は和同二年(709)に温泉が湧き出し、多くの「湯屋(温泉)」が有ったのでこの地名になったようです。
当時の泉質は温和で塩分を帯び持病を治す効能があったとか・・・
湯屋谷の塩谷を通るルートと石詰を通るルートの合流地点です。
昔は此処から先へは進めなかったんですが・・・
山の中なのに何故かこの辺りだけアスファルト舗装されてます。
雰囲気は良いんですが、ちょっと気持ちの悪い?場所でした。
松峠です。
6本の道が集まってて、どれも気になります。
以前だったら100パーセント突入してたんですが、まいっか!とやり過ごす、お茶目な年頃になりました。
峠からの下りです。
旧道らしい良い雰囲気がでてますね~
この坂を下ると奥山田の宮村。あとは川上を通って茶屋村で国道に出るんですが、川上から茶屋村間は新道になっており、旧道は走破できませんでした。
心残りです。
茶屋村から以東は、茶屋トンネルが出来て裏白峠の道が閉鎖されたので、旧道を辿るのは茶屋村までです。
ほな!さいならー!
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ツーリング
2013年8月11日日曜日
2013年8月4日日曜日
サルナシ発見
今年も待ちに待った楽しい季節になってきましたね~
で、午後からクルミ沢へ行ってきました。
キウイ
クルミ
クリ
アケビと・・・
アケビを撮影しようとバイクを止めて見回していたら!!
鈴生りのサルナシ発見!
見落としてました・・・
今まで通り過ぎていた場所に、こんなにもサルナシが有ったとは・・・
さらに、少し走った所でもサルナシ発見!
ここも見落としてました・・・
こちらも鈴生りですが、斜面なので収穫はちょっと苦労するかもしれません。
しっかしなんです。
見落としてるもんですね~
バイクで走りながら見つけようなんて、やっぱり横着でした。
ちゅうか、これで今年は余裕で収穫できます!ウルトラ嬉しいです!
で、午後からクルミ沢へ行ってきました。
キウイ
クルミ
クリ
アケビと・・・
アケビを撮影しようとバイクを止めて見回していたら!!
鈴生りのサルナシ発見!
見落としてました・・・
今まで通り過ぎていた場所に、こんなにもサルナシが有ったとは・・・
さらに、少し走った所でもサルナシ発見!
ここも見落としてました・・・
こちらも鈴生りですが、斜面なので収穫はちょっと苦労するかもしれません。
しっかしなんです。
見落としてるもんですね~
バイクで走りながら見つけようなんて、やっぱり横着でした。
ちゅうか、これで今年は余裕で収穫できます!ウルトラ嬉しいです!
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ツーリング
2013年7月24日水曜日
コーラで錆び落しからの・・・
●洗髪
●窓拭き
●料理
●体臭落とし
●痛み止め
●鍋の焦げ落とし
●衣類の汚れ落とし
●ナメクジやカタツムリの駆除
●おなかを整える
●スカンクのオナラの臭いの消臭
●クラゲに刺された時の応急処置
●爆発を起こす
なんて、もう飲み物の効用とは思えませんが、検索で出てきたコーラの意外な使い方あれこれです。
さらに・・・!
水かコーラかの選択さんによりますと・・・
コーラに関するデータ
1.米国内の数多くの州では、ハイウェイ・パトロールは常に2ギャロン(約7.5リットル)のコーラを車のトランクに貯蔵している。これは自動車事故後に血液を洗い落とすために使う。
2.T-ボーンステーキをコーラの入った大鉢に入れておくと、2日で溶けてしまう。
3.トイレの洗浄用:コーラを一缶トイレに流し入れ1時間ほど放置した後で水を流す。コーラに含まれているクエン酸が硝子状陶器に染み付いた汚れを取り除ききれいになる。
4.車のクロム製バンパーの錆取り:くしゃくしゃにしたアルミ箔をコーラに浸してバンパーをこする。
5.車のバッテリー端子の腐食を取り除く:コーラを一缶、バッテリー端子に注いで気泡を発生させて腐食を取り除く。
6.錆びたボルトを緩める:コーラに浸した布切れを錆びたボルトに数分間当てる。
7.洋服から油脂を取り除く:油脂がついた洋服を洗濯機に入れ、コーラを一缶注ぎ洗剤を加えて通常の洗濯サイクルで洗う。コーラが油脂のしみを浮かして取り除くのを手助けする。
その他のデータ
1.コーラのペーハーは2.8で活性成分はリン酸からなっている。約4日間で爪を溶かす。また、リン酸は骨からカルシウムを浸出させ、骨粗しょう症増加の大きな原因となっている。
2.コーラの濃縮シロップを運送する輸送トラックは侵食性が高い材料に使われる危険物のマークを表示しなくていけない。またトラックの運転手は危険物取り扱いのコースを受けている。
3.コーラの配給業者は、自社トラックのエンジンを洗浄するのに過去20年以上コーラを使っている。
マジかっ!
とても飲み物とは思えない!
やっぱり東山サイダーとパレードがいいのねーーーーーっ!
●窓拭き
●料理
●体臭落とし
●痛み止め
●鍋の焦げ落とし
●衣類の汚れ落とし
●ナメクジやカタツムリの駆除
●おなかを整える
●スカンクのオナラの臭いの消臭
●クラゲに刺された時の応急処置
●爆発を起こす
なんて、もう飲み物の効用とは思えませんが、検索で出てきたコーラの意外な使い方あれこれです。
さらに・・・!
水かコーラかの選択さんによりますと・・・
コーラに関するデータ
1.米国内の数多くの州では、ハイウェイ・パトロールは常に2ギャロン(約7.5リットル)のコーラを車のトランクに貯蔵している。これは自動車事故後に血液を洗い落とすために使う。
2.T-ボーンステーキをコーラの入った大鉢に入れておくと、2日で溶けてしまう。
3.トイレの洗浄用:コーラを一缶トイレに流し入れ1時間ほど放置した後で水を流す。コーラに含まれているクエン酸が硝子状陶器に染み付いた汚れを取り除ききれいになる。
4.車のクロム製バンパーの錆取り:くしゃくしゃにしたアルミ箔をコーラに浸してバンパーをこする。
5.車のバッテリー端子の腐食を取り除く:コーラを一缶、バッテリー端子に注いで気泡を発生させて腐食を取り除く。
6.錆びたボルトを緩める:コーラに浸した布切れを錆びたボルトに数分間当てる。
7.洋服から油脂を取り除く:油脂がついた洋服を洗濯機に入れ、コーラを一缶注ぎ洗剤を加えて通常の洗濯サイクルで洗う。コーラが油脂のしみを浮かして取り除くのを手助けする。
その他のデータ
1.コーラのペーハーは2.8で活性成分はリン酸からなっている。約4日間で爪を溶かす。また、リン酸は骨からカルシウムを浸出させ、骨粗しょう症増加の大きな原因となっている。
2.コーラの濃縮シロップを運送する輸送トラックは侵食性が高い材料に使われる危険物のマークを表示しなくていけない。またトラックの運転手は危険物取り扱いのコースを受けている。
3.コーラの配給業者は、自社トラックのエンジンを洗浄するのに過去20年以上コーラを使っている。
マジかっ!
とても飲み物とは思えない!
やっぱり東山サイダーとパレードがいいのねーーーーーっ!
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その他
2013年7月21日日曜日
2013年7月20日土曜日
2013年7月17日水曜日
菱形基線測点 京都基線
お気に入りのトレッキングコースに設置されている、菱形基線測点の話です。
今までに千回以上見てる筈なんですが、なんの為に設置して有るのか知らなかったんです。
んで、「初めて見てから30周年記念!」くらいなので調べてみました。
説明しよう!
菱形基線とは、地球の表面の歪みを知るために設置されたものである。その配置測標4点が菱形である事から命名されたのだ。
選定された4点の相互の距離プラス対角の2点の距離を測定することによって、菱形の面積の変化、土地の水平変動及び歪みを検出し、地震予知の資料として役立たてるのだ。
しかーし、現在ではGPS測量となり、菱形基線測点の観測は行われなくなったそうな。
んで今では、これらの測点は歴史的遺産になってきてる?のかも?知れない?
菱形基線は全国16箇所に設置され、京都基線は山科区を取り囲むNO.29~NO.32だったのだ。
全国でたったの16箇所なのに、なぜか山科区が入っていたんですね~(驚)
NO.29
測点名:大文字山
概略位置:東経135度48分42秒、北緯35度01分10秒
備考:三等三角点「鹿ケ谷」(TR35235461501)そば
1980年代~1990年代頃はよく行ってたんですが、写真は撮ってませんでした。
NO.30
測点名:追分
概略位置:東経135度50分46秒、北緯34度59分44秒
備考:逢坂山、三等三角点「神出」(TR35235369801)から南方に延びる尾根上
ここは千回以上行ってます。
NO.31
測点名:花山天文台
概略位置:東経135度47分38秒、北緯34度59分35秒
備考:京都大学花山天文台構内の太陽館前
NO.32
測点名:浄水場
概略位置:京都市山科区勧修寺丸山町
備考:京都市水道局新山科浄水場内
観測はとても大変だったようです。
観測機器を覆うため仮設の小屋を建ててシート等で風を防ぎ、三脚をセットして、その脚部には杭を打ち込み石膏等で固定。
垂直器等で「十印」中心と観測機器のセンターを一致させ、器械高を測定。
なお、観測時間帯は、1日のうちで気象条件の一番安定している時間帯に行われ、日没を挟んだ4時間で6セット(日没前3セット、日没後3セット)を測定。その間は、10分毎に気象観測(温度(乾・湿)、気圧)を行った。
※ ただし、気象の条件によって日の出前後4時間で観測がされることもある。
測量は、日を改めて2日間行われ、その日のセット内較差、セット間較差及び日間較差により測量の精度確認を行った。
参照サイト:一等三角点探訪 菱形基線測点
参照サイト:愛知の標石 菱形基線測点
今までに千回以上見てる筈なんですが、なんの為に設置して有るのか知らなかったんです。
んで、「初めて見てから30周年記念!」くらいなので調べてみました。
説明しよう!
菱形基線とは、地球の表面の歪みを知るために設置されたものである。その配置測標4点が菱形である事から命名されたのだ。
選定された4点の相互の距離プラス対角の2点の距離を測定することによって、菱形の面積の変化、土地の水平変動及び歪みを検出し、地震予知の資料として役立たてるのだ。
しかーし、現在ではGPS測量となり、菱形基線測点の観測は行われなくなったそうな。
んで今では、これらの測点は歴史的遺産になってきてる?のかも?知れない?
菱形基線は全国16箇所に設置され、京都基線は山科区を取り囲むNO.29~NO.32だったのだ。
全国でたったの16箇所なのに、なぜか山科区が入っていたんですね~(驚)
NO.29
測点名:大文字山
概略位置:東経135度48分42秒、北緯35度01分10秒
備考:三等三角点「鹿ケ谷」(TR35235461501)そば
1980年代~1990年代頃はよく行ってたんですが、写真は撮ってませんでした。
NO.30
測点名:追分
概略位置:東経135度50分46秒、北緯34度59分44秒
備考:逢坂山、三等三角点「神出」(TR35235369801)から南方に延びる尾根上
ここは千回以上行ってます。
NO.31
測点名:花山天文台
概略位置:東経135度47分38秒、北緯34度59分35秒
備考:京都大学花山天文台構内の太陽館前
NO.32
測点名:浄水場
概略位置:京都市山科区勧修寺丸山町
備考:京都市水道局新山科浄水場内
観測はとても大変だったようです。
観測機器を覆うため仮設の小屋を建ててシート等で風を防ぎ、三脚をセットして、その脚部には杭を打ち込み石膏等で固定。
垂直器等で「十印」中心と観測機器のセンターを一致させ、器械高を測定。
なお、観測時間帯は、1日のうちで気象条件の一番安定している時間帯に行われ、日没を挟んだ4時間で6セット(日没前3セット、日没後3セット)を測定。その間は、10分毎に気象観測(温度(乾・湿)、気圧)を行った。
※ ただし、気象の条件によって日の出前後4時間で観測がされることもある。
測量は、日を改めて2日間行われ、その日のセット内較差、セット間較差及び日間較差により測量の精度確認を行った。
参照サイト:一等三角点探訪 菱形基線測点
参照サイト:愛知の標石 菱形基線測点
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そうだったのか
2013年7月8日月曜日
電気二重層キャパシタ(EDLC)のテスト
Panasonicのゴールドキャパシタ5.5V0.1Fです。
耐電圧5.5Vですので、12V電装に余裕を持って対応すべく・・・
5個直列の耐電圧27.5V。
さらに、充電のバランスを取る為に5.6kΩの抵抗を並列に入れてみました。
で、充電器の12Vレンジで電気を入れてみたのですが・・・
電解コンデンサーで有れば、接続した瞬間に充電されるのですが、何故か電気が入りません。
10分・・・さらに10分と繰り返し・・・
やっと6.39V。
しかし、6V1.7Wの電球さえ点灯せず、LEDがかろうじて点灯する状態。
こんなはずじゃ・・・
ネットでは簡単に充電するような記事ばかりだったのに・・・
仕方が無い!もっとシンプルにと、
EDLCのみの4個直列接続に変更。
30分充電。
14.56V!充電器の電圧を越えてるような・・・?
しかし、これでもLEDが僅かに点灯するだけでした。
分からん!さっぱり分からん!
まさか電気が入らないとは・・・
思いもしなかった結末になりました。
耐電圧5.5Vですので、12V電装に余裕を持って対応すべく・・・
5個直列の耐電圧27.5V。
さらに、充電のバランスを取る為に5.6kΩの抵抗を並列に入れてみました。
で、充電器の12Vレンジで電気を入れてみたのですが・・・
電解コンデンサーで有れば、接続した瞬間に充電されるのですが、何故か電気が入りません。
10分・・・さらに10分と繰り返し・・・
やっと6.39V。
しかし、6V1.7Wの電球さえ点灯せず、LEDがかろうじて点灯する状態。
こんなはずじゃ・・・
ネットでは簡単に充電するような記事ばかりだったのに・・・
仕方が無い!もっとシンプルにと、
EDLCのみの4個直列接続に変更。
30分充電。
14.56V!充電器の電圧を越えてるような・・・?
しかし、これでもLEDが僅かに点灯するだけでした。
分からん!さっぱり分からん!
まさか電気が入らないとは・・・
思いもしなかった結末になりました。
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バイクの電気
2013年7月7日日曜日
だって、アクセルが軽いんだもん
あへ、あへ、あへ・・・
乗ってて楽しい。
どあって~ アクセルが軽いんだもん!
あうちっ!
此処まで1点で来たのに~
潜り抜けるには低く、乗り越えるには高い!
この先に大した用も無いので引き返しましょう。
ちゅうか、梅雨は明けたのか?
乗ってて楽しい。
どあって~ アクセルが軽いんだもん!
あうちっ!
此処まで1点で来たのに~
潜り抜けるには低く、乗り越えるには高い!
この先に大した用も無いので引き返しましょう。
ちゅうか、梅雨は明けたのか?
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トレッキング
2013年7月4日木曜日
続・紫香楽宮
興味深いサイトを見つけました。
続日本紀によりますと、紫香楽宮が作られた天平時代には、大地震のみならず摩訶不思議な出来事が頻発していたようです。
前回の投稿で、紫香楽宮が捨てられたのは、平城への還都を謀る一部官人による放火が原因のような書き方で終わってたのですが、放火が有ったとしても、立て続けに起こった信じられない自然災害が大きな要因だったと思われます。
天平時代の地震からちょっと抜粋してみました。
●天平3年6月 今の和歌山県あたりで海水が血の色のようになった。
●天平6年 畿内・七道諸国大地震。
●天平7年5月4日 夜、天の多くの星が入り乱れて運行し、通常の位置になかった。
●天平14年正月 陸奥国で赤い雪が降り積もった。
●天平14年6月5日 夜、京中のところどころに飯が降った。
●天平15年5月 今の岡山県でクジラの集団座礁
●天平15年6月26日 宇治川の枯渇。日照りのせいと考えられるが、2時間だけ水がなくなった。
●天平17年4月27日 内陸部で起きた巨大地震(M7.9)。それ以降の地震記録の異常な多さ。
上記巨大地震の前後それぞれ1ヶ月間に山火事の記事が突出して多い。気候が異常高温・乾燥であったためか?
以下は紫香楽宮関連部分です。
日付は旧暦ですので、太陽暦とは季節感がずれています。
天平十五年(743年)十月 紫香楽の地において大仏造立の詔を発布。
同年末に恭仁京の大極殿が完成するも、新京の建設は中止される。
16年夏4月13日 紫香楽宮の西北の山で火事。
16年5月4日(18日の誤りか) 肥後国で雷雨と地震。八代・天草・葦北の3郡の官舎と田290余町、民家470余区と、人1520余人が水中に漂ったり水没したりした。山崩れが280余ヵ所、40余人が圧死した。
16年6月21日 氷が雨のように降った。
天平十六年(744年)十一月十三日 紫香楽の甲賀寺に大仏像の体骨柱(たいこつちゅう)が建てられ、天皇自ら縄を引かれる。
16年12月2日 星が将軍(二十八宿の婁宿の北にある天大将軍)の方に光り輝いて流れた。
天平十七年(745年)の年が明けると、紫香楽宮への遷都が宣言される。
17年夏4月1日 紫香楽京の市の西の山で火災。
17年4月3日 寺(甲賀寺か)の東の山で火災。
17年4月8日 伊賀国の真木山(三重県阿山町)で火災。3、4日間燃え続けた。
17年4月11日 紫香楽の宮城の東の山で火災。幾日も鎮火しなかった。
17年4月13日 夜、小雨があり、火勢が衰え鎮火した。
17年4月27日 この日、一晩中地震があり、それが三昼夜続いた。美濃国では国衙の櫓・館・正倉・仏寺の堂や塔・人民の家屋が被害をうけ、少しでも触れると忽ち崩壊した。
17年5月1日 地震。
17年5月2日 地震。
17年5月3日 地震。
17年5月4日 地震。
17年5月5日 地震があって夜昼やまなかった。
五月五日、聖武天皇はついに紫香楽を捨てて恭仁京へ向かわれる。
17年5月6日 地震。
17年5月7日 地震。
17年5月8日 地震。4月以来雨が降らず、田植えができない。諸国の神社で雨乞い。
17年5月9日 地震。近江国の人民1千人を徴発して、甲賀宮周辺の山火事の消火に当たらせた。
17年5月10日 地震。
17年5月11日 甲賀宮は無人の地となり、山火事の火もまだ消えなかった。
十一日には奈良平城京に戻られる。民衆も競って平城を目指し、その行列は昼夜途切れることなく続いた
17年5月16日 地震。
17年5月18日 地震。
17年5月 この月の地震の多発は異常であって、度々地面に亀裂が生じ、そこから泉水が湧出した。
17年7月17日 地震。
17年7月18日 地震。
17年8月24日 地震。
17年8月29日 地震。
17年9月2日 地震。
続日本紀によりますと、紫香楽宮が作られた天平時代には、大地震のみならず摩訶不思議な出来事が頻発していたようです。
前回の投稿で、紫香楽宮が捨てられたのは、平城への還都を謀る一部官人による放火が原因のような書き方で終わってたのですが、放火が有ったとしても、立て続けに起こった信じられない自然災害が大きな要因だったと思われます。
天平時代の地震からちょっと抜粋してみました。
●天平3年6月 今の和歌山県あたりで海水が血の色のようになった。
●天平6年 畿内・七道諸国大地震。
●天平7年5月4日 夜、天の多くの星が入り乱れて運行し、通常の位置になかった。
●天平14年正月 陸奥国で赤い雪が降り積もった。
●天平14年6月5日 夜、京中のところどころに飯が降った。
●天平15年5月 今の岡山県でクジラの集団座礁
●天平15年6月26日 宇治川の枯渇。日照りのせいと考えられるが、2時間だけ水がなくなった。
●天平17年4月27日 内陸部で起きた巨大地震(M7.9)。それ以降の地震記録の異常な多さ。
上記巨大地震の前後それぞれ1ヶ月間に山火事の記事が突出して多い。気候が異常高温・乾燥であったためか?
以下は紫香楽宮関連部分です。
日付は旧暦ですので、太陽暦とは季節感がずれています。
天平十五年(743年)十月 紫香楽の地において大仏造立の詔を発布。
同年末に恭仁京の大極殿が完成するも、新京の建設は中止される。
16年夏4月13日 紫香楽宮の西北の山で火事。
16年5月4日(18日の誤りか) 肥後国で雷雨と地震。八代・天草・葦北の3郡の官舎と田290余町、民家470余区と、人1520余人が水中に漂ったり水没したりした。山崩れが280余ヵ所、40余人が圧死した。
16年6月21日 氷が雨のように降った。
天平十六年(744年)十一月十三日 紫香楽の甲賀寺に大仏像の体骨柱(たいこつちゅう)が建てられ、天皇自ら縄を引かれる。
16年12月2日 星が将軍(二十八宿の婁宿の北にある天大将軍)の方に光り輝いて流れた。
天平十七年(745年)の年が明けると、紫香楽宮への遷都が宣言される。
17年夏4月1日 紫香楽京の市の西の山で火災。
17年4月3日 寺(甲賀寺か)の東の山で火災。
17年4月8日 伊賀国の真木山(三重県阿山町)で火災。3、4日間燃え続けた。
17年4月11日 紫香楽の宮城の東の山で火災。幾日も鎮火しなかった。
17年4月13日 夜、小雨があり、火勢が衰え鎮火した。
17年4月27日 この日、一晩中地震があり、それが三昼夜続いた。美濃国では国衙の櫓・館・正倉・仏寺の堂や塔・人民の家屋が被害をうけ、少しでも触れると忽ち崩壊した。
17年5月1日 地震。
17年5月2日 地震。
17年5月3日 地震。
17年5月4日 地震。
17年5月5日 地震があって夜昼やまなかった。
五月五日、聖武天皇はついに紫香楽を捨てて恭仁京へ向かわれる。
17年5月6日 地震。
17年5月7日 地震。
17年5月8日 地震。4月以来雨が降らず、田植えができない。諸国の神社で雨乞い。
17年5月9日 地震。近江国の人民1千人を徴発して、甲賀宮周辺の山火事の消火に当たらせた。
17年5月10日 地震。
17年5月11日 甲賀宮は無人の地となり、山火事の火もまだ消えなかった。
十一日には奈良平城京に戻られる。民衆も競って平城を目指し、その行列は昼夜途切れることなく続いた
17年5月16日 地震。
17年5月18日 地震。
17年5月 この月の地震の多発は異常であって、度々地面に亀裂が生じ、そこから泉水が湧出した。
17年7月17日 地震。
17年7月18日 地震。
17年8月24日 地震。
17年8月29日 地震。
17年9月2日 地震。
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