この話は、ストレートオン1997年4月号に無理やり掲載して貰ったものです。
月曜日。
今日は天気がよい。土、日に出来た仕事を納めにTLMで出かけた。
納品は何事も無く終わり、いつもの喫茶店で朝食にする。
コーヒーとトースト、それにミニサラダ。
10時をまわった頃に店を出て、ポロポロと旧国道を家路につく。しかし、右折しなければならない交差点を直進してしまう。
「小関峠まで行ってみようか」これが全ての始まりだった。
●ミニ知識
小関越えは東海道の逢坂の関を大関と呼ぶのに対して、こちらを小関と呼ぶそうな。逢坂の関を通りたくない少し訳有りの旅人が通ったらしい。以前は茶畑がきれいなきれいないい峠道だった。
小関峠を越え三井寺前を通り、どんどん北上してしまう。
もうだれも俺を止められネェ。(止めへん、止めへん)日吉大社で左折し、西教寺を過ぎてまた左折。山裾の細いワインディングロードを流す。
完全にツーリングモードの入ってしまった。納品の帰りなのに。
従って服装はTシャツにGパン短足、いや短靴姿。デイパックの中には何も無し。目的も無し。
ワインディングロードから農道を走り仰木町。直進しようか曲がろうか。目的の無いツーリングとはいえ少しは山道を走りたい。
左折して仰木峠を目指す。
●ミニ知識
この峠道も古く、琵琶湖と大原を結ぶ生活の道であり、比叡山の行者や参拝者も利用したのだろう。
現在は峠の下まで林道が通っており、林道から峠までは百メートルほど。峠から南へ尾根道が有るがバイクは進入禁止だ。
峠を乗り越して下って行く。昨日までの雨で夏草が濡れている。すぐにGパンの裾と靴がビショビショになった。時折大原の家並みが見える。
「大原で昼飯を食おうか・・・」
杉林の道を下り、小さな沢を渡る。大原の里はすぐそこだ。
三千院の喧騒を避け左折する。国道に出て直ぐに右折し旧道へ向かう。もう江文峠が近い。
●ミニ知識
江文峠。ムッチャ古い峠。
現在江文峠は新道が出来、峠は寸断されなんの風情もない。新道の入り口から五百メートルほど南の旧道から峠を目指す。
伝教大師ゆかりのこの古道も新道が出来て荒れてきたのだろうか、道幅いっぱいに水が流れ、川のようになっているところがある。
味気ない峠を越え、林道を下れば静原である。
どうしよう・・・
真っ直ぐに行って車で混雑する鞍馬街道に出るか、それとも左に曲がって岩倉へ抜けるか・・・。
そうだ、この機会に以前地図で見た薬王坂へ行ってみよう。古い道だから一度は走らねば。
入口はすぐに分かった。急な舗装路を上がっていくと、急斜面に別荘地があり古道の面影はどこにもない。別荘地の外れから古道になり、夏草にハンドルをとられる。道は雨水で荒れており、掘れているところやステア気味のところ、木の階段などつづら折れ中に次々と現れる。面白い道だ。しかし距離は短い。すぐに峠についてしまった。
●ミニ知識
この峠道もムッチャ古い。大宮人がお忍びで大原に行くときは、八瀬からの若狭街道は通らず、この薬王坂を越えて静原に入り、静原から先ほど越えてきた江文峠を通って大原に通ったそうだ。艶事かけるエネルギーはすさまじいなあ。
峠から鞍馬側に下りてみることにした。出られるならば鞍馬で昼飯にしよう。
こちら側は夏草もなく荒れている感じはしない。手入れもされているような印象だ。古道の面影もあるいい道だ。
道の下に人家の屋根が見えたので、バイクを停め歩いて見に行く。寺と神社の間、境内のようなところへ出た。これは駄目だ。神社に参拝してそうそうに引き返すことにする。
楽しみながらゆっくりと上り、峠で小休止。
静原に戻るのもいやだったので、天ヶ岳への尾根道に入ってみる。
昭和56年版(古いっちゅーネン)の地図では道は載っていなかったが、地図を見てるとこの尾根は行けそうだ、いづれトライしなければと思っていた道だ。
ゆるやかで良く踏まれた道が続く。しかし、大分喉が渇いて来た。途中で何か買ってくるべきだったなぁ。まっ、この調子なら簡単に百井まで行けるだろう。百井でジュースを飲もう。
細い道をゆるやかに左へ曲がると、木の根が縦方向に浮き出した斜面が現れた。わずか3メートル程だ。手前でアクセルをふかす。一気に上ったつもりが、中ほどで失敗。勢いが足りなかったのだろう。バックしてやり直そう。ブイ―ン!が、全然勢いがつかない。それでも無理やりアタ~ック。シッパイ。汗がダラダラと流れる。
「イヤ~、冗談は止めて本気を出そう」今度は10メートル程バックして、と。ギアは3速でスピードに乗せて、と。だが、後輪が滑っている。またまた無理矢理アタ~ック!そして、また失敗!
「クソッ!何でやねん!」
●ミニ知識
この場合「クソッ!何でやねん!」ではなく「へったやなぁ俺って」が正しい。または「トライアルなんかヤメたるわい」なんかも素晴らしい表現方法ですね。
こうなったら押すしかない。エンジンをかけ力一杯押し上げる。重い。汗がボタボタと落ちる。後輪を抱え、前輪を引きずる。たったの3メートルを上るのにもうクタクタだ。Tシャツを脱いで汗を絞る。ああ、喉が渇いた。俺はこんなところで何をしているのだろう?仕事の納品の帰り道だったはずなのに。
ま、いっか。早く百井まで行って水分を補給しよう。
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2020年5月26日火曜日
帰り道は遠かった・・・・・・後編
前編
細い林間の道を進んで行くと、右の谷からの道と出会った。
左へ行く。上がったり下がったり、なかなか楽しい。だれにも会わない。気楽に走れる。S字を描きながら上っていくと斜度が少しキツクなり、あわててアクセルを開く。が、遅かった。細い一本の木の根が越えられない。バックしてやり直そう。ブイ~ン!が、全然勢いがつかない。それでも無理矢理アタ~ック!(なんか、さっきも同じ事を書いたような・・・)気を取り直して3回目のトライ。先ほどの事もあるので思いっきりバックして、と。今度こそブイ~ン!と。スピードが・・・・・・出ない。
「クソッ!何でやねん!」(注:ミニ知識 参照)
終わった。全て終わった。トライアルを始めて十数年。あの岩を越え、あの坂を上りこの岩ではひっくり返り、この坂ではまくれ、その岩ではステップを曲げ、その坂ではレバーを折り、あっちの坂ではタンクを凹まし、あっちの坂ではフェンダーを割った。それもこれも今となっては思い出だ。こんな細い木の根が越えられないなんて。もう全てが終わったんだ・・・・・・
さてと、結局押す事にする。
またも力仕事。飽和状態のTシャツの表面を、汗がダラダラと流れていく。Gパンもパンツもビチョビチョ。よくこれだけの汗が出るものだ。必死で押し上げ、ヘタヘタとその場に座り込む。キツイ。喉が焼ける。
「エライ事になってきたなあ」一刻も早く百井に行って、水分を補給しないと・・・。
もう、楽しいトレッキングどころではない。景色を見る余裕もない。必死で走る。天ヶ岳の頂上まで。
天ヶ岳の頂上は見通しが悪く、眺望はきかなかった。急ぎ下りに向かう。百井峠から金毘羅山への尾根道へ出て左へ。ハイカーが多いのだろう、良く踏まれた道が続く。ほどなく舗装路に出た。ここまで来れば百井はすぐそこ。ぶっ飛ばす。あそこだ!バイクを停めるのももどかしく、自販機に百円玉を入れ・・・?
あれっ???電源が切れている。店のガラス越しに声をかけてみるが返事がない。誰もいない!?そんな馬鹿な!!もう気が狂いそうだ。ふと店の横の小さな水路に目が止まる。きれいな水だ、飲めそうだ!イヤ、待て。農薬が流れ込んでるかもしれない。落ちつけ。
もう一度店の方に目を戻す。入口の横に台所用の流し台が置いて有る。粗大ゴミらしい・・・エッ、蛇口がついてる。
まさかと思いながらも期待を込めて蛇口をヒネッた。出た!水だ!生ぬるい水が徐々に冷たくなっていく。ウマイ!と書きたいところだが少し飲んだところで急激に腹が痛くなり、そのまま固まってしまった。強烈な痛みだ。しばし無言。一分ほどで痛みが治まってきたので少しづつ水を飲む。
しかし、たらふく飲んでも喉が渇いているような感覚だ。それでも、顔と手を洗い、ひと心地がついた。さあ、山を下って飯を食おう。
百井峠を下って鞍馬街道へ出る。岩倉か白川通り辺りで食うかと考えながら走っていると、旧花背峠を思い出してしまった。この峠もいずれ走りたいと思っていた道だ。喉の渇きも治まったし、ついでにこの道も走ってみるか。入口を見ると林道だ。楽に上れるだろう。
●ミニ知識
ご存知の通り現在の花背峠が出来るまでは、京の都と小浜を結ぶ若狭街道の重要な峠のひとつであった。
小さな石がゴロゴロしているところを少し上ると、雲行きが怪しくなってきた。良く滑る丸太橋を渡り、藪をかき分け、気がつけば沢の中を走っている。入口を間違えたのか?これはただの山道じゃないのか?少し山道を走るとコンクリートで出来た小さな砂防堤が現れた。右にラインがあるが、手前の岩が沢に落ちそうになっている。岩を動かしラインを整える。高さ30~40センチの段差だが左の沢が気になる。こんなところが本当に若狭街道なのだろうか?とりあえず、この砂防堤を越え、行ける所まで行ってみよう。少しビビリながら砂防堤を越え、沢を少し行くとまた道らしくなってきた。土の斜面を右に左に上り詰めて行くと最後が上がれなくなった。数本の杉の急斜面をタイトにS字を描くルート。これは無理だ。バイクを停めよく見ると、右手の斜面に新しい道が出来ている。しかし、こちらもZ形になっており、ターンは無理。でも何とかなりそうだ。またまた押し上げることにしよう。仕方がない。今日は厄日なのだと自分に言い聞かせた。
また喉が渇いてしまったが、旧道らしい面影が感じられる道に出た。やっぱり若狭街道だ。嬉しくなり峠へ急ぐ。峠には大きな杉と祠があった。
しかし、現在は別所町と芹生から、車で入ってこられる峠になっており、長き歴史を秘めた旧街道の峠の風格はない。
このところ、北山では大規模の林道工事が進んでおり、旧若狭街道や旧高浜街道の趣のある峠が壊されているらしい。非常に残念だ。
さあ、今度こそ帰ろう。別所側へ下り新花背を越え鞍馬街道を下る。途中の水場で水分を補給。若いアベックが、汗だくドロドロの俺を見て視線を逸らせ後ずさりする。さもありなん。他人が見ると完全に不審者に見えるだろう。悲しい事に、そういう目で見られることには慣れている。そんな自分がいとおしい。今度は腹痛を起こすこともなく、ガブガブ飲めた。やっぱりいとおしい。
市原まで下り、二軒茶屋の分かれ道を幡枝方向へ。2~300メートル走ったところでガス欠になってしまった。HRCのタンクにしているのでリザーブがない。今日は色々楽しめる。
この辺りの地理は不案内で、近いガソリンスタンドが分からない。とりあえず車の少ない道を押していこう。
幡枝辺りから、住宅と畑の中を通って広い道に出たが何もない。広い道をしばらく東に行き、右折した。宝ヶ池?前方にトンネルが見える。上り坂だが、今日押してきた山道に比べれば舗装路の上りなど屁でもない。トンネルを抜け坂を下り、東西の広い通りに出たがスタンドは見あたらない。東に向かって押して行くがスタンドどころかジュースの販売機もない。今日は本当に厄日だ。
やっと道路の反対側に自動販売機を発見!お懐かしや自販機さま!ここでジュース3本立て続けという荒業を使う。後は何か食い物が欲しい。住宅街を南へ押していく。パン屋ぐらいは有るだろう・・・
しかし、見事なまでに何もない。コンビニも、パン屋も、駄菓子屋も・・・。静かで環境のいい住宅街なのだろう。でも、なんだか何もないところを選んで押しているようだ。足が痛い。たいがい疲れた・・・。
やっと向こうの方に賑やかな大通りが見えてきた。通りの名は北大路通。その大通りの角にスタンドはあった。
幡枝から北大路通まで、発見できたのはジュースの販売機一台のみ。我ながら見事だ。自分で自分を誉めてやりたい。
結局、クタクタになった胃袋では食欲もなく、何も食わずに懐かしい我が家、山科に帰ったのであった。
細い林間の道を進んで行くと、右の谷からの道と出会った。
左へ行く。上がったり下がったり、なかなか楽しい。だれにも会わない。気楽に走れる。S字を描きながら上っていくと斜度が少しキツクなり、あわててアクセルを開く。が、遅かった。細い一本の木の根が越えられない。バックしてやり直そう。ブイ~ン!が、全然勢いがつかない。それでも無理矢理アタ~ック!(なんか、さっきも同じ事を書いたような・・・)気を取り直して3回目のトライ。先ほどの事もあるので思いっきりバックして、と。今度こそブイ~ン!と。スピードが・・・・・・出ない。
「クソッ!何でやねん!」(注:ミニ知識 参照)
終わった。全て終わった。トライアルを始めて十数年。あの岩を越え、あの坂を上りこの岩ではひっくり返り、この坂ではまくれ、その岩ではステップを曲げ、その坂ではレバーを折り、あっちの坂ではタンクを凹まし、あっちの坂ではフェンダーを割った。それもこれも今となっては思い出だ。こんな細い木の根が越えられないなんて。もう全てが終わったんだ・・・・・・
さてと、結局押す事にする。
またも力仕事。飽和状態のTシャツの表面を、汗がダラダラと流れていく。Gパンもパンツもビチョビチョ。よくこれだけの汗が出るものだ。必死で押し上げ、ヘタヘタとその場に座り込む。キツイ。喉が焼ける。
「エライ事になってきたなあ」一刻も早く百井に行って、水分を補給しないと・・・。
もう、楽しいトレッキングどころではない。景色を見る余裕もない。必死で走る。天ヶ岳の頂上まで。
天ヶ岳の頂上は見通しが悪く、眺望はきかなかった。急ぎ下りに向かう。百井峠から金毘羅山への尾根道へ出て左へ。ハイカーが多いのだろう、良く踏まれた道が続く。ほどなく舗装路に出た。ここまで来れば百井はすぐそこ。ぶっ飛ばす。あそこだ!バイクを停めるのももどかしく、自販機に百円玉を入れ・・・?
あれっ???電源が切れている。店のガラス越しに声をかけてみるが返事がない。誰もいない!?そんな馬鹿な!!もう気が狂いそうだ。ふと店の横の小さな水路に目が止まる。きれいな水だ、飲めそうだ!イヤ、待て。農薬が流れ込んでるかもしれない。落ちつけ。
もう一度店の方に目を戻す。入口の横に台所用の流し台が置いて有る。粗大ゴミらしい・・・エッ、蛇口がついてる。
まさかと思いながらも期待を込めて蛇口をヒネッた。出た!水だ!生ぬるい水が徐々に冷たくなっていく。ウマイ!と書きたいところだが少し飲んだところで急激に腹が痛くなり、そのまま固まってしまった。強烈な痛みだ。しばし無言。一分ほどで痛みが治まってきたので少しづつ水を飲む。
しかし、たらふく飲んでも喉が渇いているような感覚だ。それでも、顔と手を洗い、ひと心地がついた。さあ、山を下って飯を食おう。
百井峠を下って鞍馬街道へ出る。岩倉か白川通り辺りで食うかと考えながら走っていると、旧花背峠を思い出してしまった。この峠もいずれ走りたいと思っていた道だ。喉の渇きも治まったし、ついでにこの道も走ってみるか。入口を見ると林道だ。楽に上れるだろう。
●ミニ知識
ご存知の通り現在の花背峠が出来るまでは、京の都と小浜を結ぶ若狭街道の重要な峠のひとつであった。
小さな石がゴロゴロしているところを少し上ると、雲行きが怪しくなってきた。良く滑る丸太橋を渡り、藪をかき分け、気がつけば沢の中を走っている。入口を間違えたのか?これはただの山道じゃないのか?少し山道を走るとコンクリートで出来た小さな砂防堤が現れた。右にラインがあるが、手前の岩が沢に落ちそうになっている。岩を動かしラインを整える。高さ30~40センチの段差だが左の沢が気になる。こんなところが本当に若狭街道なのだろうか?とりあえず、この砂防堤を越え、行ける所まで行ってみよう。少しビビリながら砂防堤を越え、沢を少し行くとまた道らしくなってきた。土の斜面を右に左に上り詰めて行くと最後が上がれなくなった。数本の杉の急斜面をタイトにS字を描くルート。これは無理だ。バイクを停めよく見ると、右手の斜面に新しい道が出来ている。しかし、こちらもZ形になっており、ターンは無理。でも何とかなりそうだ。またまた押し上げることにしよう。仕方がない。今日は厄日なのだと自分に言い聞かせた。
また喉が渇いてしまったが、旧道らしい面影が感じられる道に出た。やっぱり若狭街道だ。嬉しくなり峠へ急ぐ。峠には大きな杉と祠があった。
しかし、現在は別所町と芹生から、車で入ってこられる峠になっており、長き歴史を秘めた旧街道の峠の風格はない。
このところ、北山では大規模の林道工事が進んでおり、旧若狭街道や旧高浜街道の趣のある峠が壊されているらしい。非常に残念だ。
さあ、今度こそ帰ろう。別所側へ下り新花背を越え鞍馬街道を下る。途中の水場で水分を補給。若いアベックが、汗だくドロドロの俺を見て視線を逸らせ後ずさりする。さもありなん。他人が見ると完全に不審者に見えるだろう。悲しい事に、そういう目で見られることには慣れている。そんな自分がいとおしい。今度は腹痛を起こすこともなく、ガブガブ飲めた。やっぱりいとおしい。
市原まで下り、二軒茶屋の分かれ道を幡枝方向へ。2~300メートル走ったところでガス欠になってしまった。HRCのタンクにしているのでリザーブがない。今日は色々楽しめる。
この辺りの地理は不案内で、近いガソリンスタンドが分からない。とりあえず車の少ない道を押していこう。
幡枝辺りから、住宅と畑の中を通って広い道に出たが何もない。広い道をしばらく東に行き、右折した。宝ヶ池?前方にトンネルが見える。上り坂だが、今日押してきた山道に比べれば舗装路の上りなど屁でもない。トンネルを抜け坂を下り、東西の広い通りに出たがスタンドは見あたらない。東に向かって押して行くがスタンドどころかジュースの販売機もない。今日は本当に厄日だ。
やっと道路の反対側に自動販売機を発見!お懐かしや自販機さま!ここでジュース3本立て続けという荒業を使う。後は何か食い物が欲しい。住宅街を南へ押していく。パン屋ぐらいは有るだろう・・・
しかし、見事なまでに何もない。コンビニも、パン屋も、駄菓子屋も・・・。静かで環境のいい住宅街なのだろう。でも、なんだか何もないところを選んで押しているようだ。足が痛い。たいがい疲れた・・・。
やっと向こうの方に賑やかな大通りが見えてきた。通りの名は北大路通。その大通りの角にスタンドはあった。
幡枝から北大路通まで、発見できたのはジュースの販売機一台のみ。我ながら見事だ。自分で自分を誉めてやりたい。
結局、クタクタになった胃袋では食欲もなく、何も食わずに懐かしい我が家、山科に帰ったのであった。
2020年5月25日月曜日
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