2~3年前に山科区から発行された、懐かしのアルバム?に使われている写真です。
(昭和30年撮影)
50歳以上?で音羽学区の方は、直に何処だか分かると思います。
クラスごと?だったと思いますが、年に一度牛尾山に登る行事が有り、この道を通っていました。
水車は此処と白石神社の前にも有り、白石神社の方は、今でも小屋部分が残っていた筈・・・?
この頃は、まだ水道が引かれていなかったんだろうと思います。
水路には、音羽川から引かれた水がとうとうと流れ、飲み水として水車の動力として、はたまた灌漑として幅広く利用されていたようです。
この辺りから白石神社を過ぎるまでは道沿いに水路が走っていて、とても雰囲気の良い山里でした。
ひょっとすると、江戸時代からこの写真が撮影された昭和30年代まで、ほとんど変わらない風景だったのかも知れませんねぇ。
5 件のコメント:
2009/2/11 10:04
昔の自分ちの辺りはどうだったかと思い起こされる写真です。30年はまだ生まれてませんが。
小さい頃、家の前は砂利道で日通のオート三輪がコケてたり、ウインカーはへらのような物がひょこっと出てくるボンネットバスで幼稚園まで通ったり。
2009/2/11 13:41
あっ!!覚えてますね。水車の下で磨かれたツルツルの丸い石を拾いによく行ってました。
私の通っていた時も年に一度、適応遠足?とか言ってパノラマ台まで登ってましたね。
今では自力で登るにはちょっと・・・
2009/2/11 17:09
イーハトーブさんだったら覚えていると思っていました。懐かしい風景でしょ。
確か、子供の頃舗装されていた道は三条通り(旧1号線)だけで、どこもかしこもこんな風景だったような・・・
そうです。適応遠足です。パノラマ台まで登って下りは走ってました。信じられませんね。
nananeco769さんも古い事を覚えてますねー。
確か、手で出すそのウインカーは、木の板をオレンジ色に塗って有ったんじゃないでしょうか?
後に進化して、電気が点くようになったような気がします。
(  ̄^ ̄;)記憶が・・・定かでは有りません。
2009/2/11 19:58
やっぱり適応遠足でしたか。
懐かしいですね。胸にカードをぶら下げて途中でスタンプを押してもらってたような記憶が・・・?
はっきり覚えているのは、牛尾観音で水を補給していた事ですねぇ。 あれは旨かったです。
以前紹介されていた「家守綺譚」を拝読させてもらったんですが、それに書かれていたゴローと牛尾山を登って行くシーンもこんな感じかなぁ~とふと思い出しました。
2009/2/11 21:44
そうですね。明治時代の話ですので、まさにこの風景の中を登って言った事になりますね。
おそらく作者の梨木さんももこの道を歩かれたんだと思いますよ。(現在滋賀県在住のようです)この水車が残っていれば、ゴローが興味深げに見入ってるシーンがでてきた事でしょう。
私の時代には、カードやスタンプは無かったような・・・ただ行って帰ってきただけだったのでは・・・
牛尾観音の水は美味しいですね。子供の頃は良く行ってました。友達と行ったり家族で行ったりで、週に3回登った事が有りました。
しかし、今では桜の馬場から見上げて引き返していますねー。
今度、数十年ぶりに水を飲みに訪ねてみる事にします。
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