2011年10月8日土曜日

配線コード

配線コードの白が無くなったので、滋賀県がメインのホームセンター アヤハディオ大津店に出かけました。
赤、黒、青、黄の4色はエーモン製が山科区内でも手に入るのですが、白とピンクはフジックスのブランドREV'Sしか有りません。(一般に販売されている商品としてはです)
このREV'Sの製品を取り扱ってるのがアヤハディオで、白線はアヤハディオ大津店と決めていました。
がっ!有ろう事か白線が撤去されていました。(がーん!困った)
で、アヤハディオ西大津店へ行ってみたのですが、同じく赤線と黒線しか並んでません。(がーん!がーん!どうしよう!)
んで、瀬田店へ・・・ここは大きい!んが、同じく赤と黒のみ。(がーん!がーん!がーん!ジョージ ショック!)

ここまできたら破れかぶれ、草津市まで走ります。
大型ホームセンター「ディオワールド」


ここだったら何でも有ります!
トリャ-ッ!


以前は、なかなか手に入らないピンクだって置いて有ったんですが・・・


残念ながら、ピンクも、黄色も、青も、白も撤去されてました。

スペースは十分有るのに・・・
なんで?

配線一個のために草津まで走ったのに・・・
辛い!


2011年9月25日日曜日

供○峠

午後の1時半だったら誰にも会うまい!と、ガソリンを入れにいったのですが・・・
偶然、イーハ-トーブさんとホワイトさんに出会ってしまいましたーーーーーっ!
が、時間を考えると遠くまで走る訳にも行かず、近いけど最近走っていない供○峠に行く事に・・・


画像は、チェンジが出来なくなって2速で走りつづけるホワイトさんです。
4st.はグリップが良いです。ダンロップD802もグリップが良いです。で、空気圧も下げ過ぎてました。異様にグリップが良くて、滑る気がまったくしませんでした。
久しぶりに走りましたが、楽しい道ですな~


供○峠と言えばこのお地蔵様。
何時も此処で小休止して、上って来た道の反省と能書きを垂れ合います。
で、能書きも垂れたので出発。
峠を越えて炭山側に下り出したのですが、倒木が嫌な感じで倒れていたので尾根道ルートに変更。しかし、尾根道も倒木だらけ。この間の台風でしょうか?
倒木を迂回したり乗り越えたりしながら日野~炭山間の舗装道路に到達。
が、低圧のタイヤで舗装路を走るのは久しぶりだからか、それともエアを抜きすぎたのか、恐くて恐くて、直に止まって「エア注入![[pict:symbol1]]」
止まったついでに、また能書きの垂れ合いです。歳を取ると垂れたもん勝ちなのです。
んで、垂れ流したので出発。
舗装路をそのまま帰るつもりだったのですが、少し下ったゴルフ場の入口で長○峠を思い出し、30年ぶり?に入ってみました。
宇治の木幡と炭山を結ぶ古い峠道なのですが、木幡側からゴルフ場の道までは残っているのですが、炭山側へ下りる道は見当たりません。(捜し方が悪いのでしょうが・・・)
この道も30年前とは様変わりしてました。道幅が広くなってるし、何故かマンホールが所々にありました。
下りた所には別のゴルフ場があるのですが、昔からの峠道ですので通行禁止にも出来ずで、ゴルフ場を横断します。
30年前は、キャディさんに「通ります!」と声をかけてから通ったのですが、今日は何事も無く通れました。コースが変わったのかも知れません。

午後からの3時間ほどでしたが、やっぱりトレッキングは面白いです!


2011年9月18日日曜日

白鳥越(青山越)

今日は、本当に偶然出会ったイーハトーブさんに、知らない道に連れて行って頂きました。
途中までは走った事の有る道だったのですが、最後まで走っていなかったのでとても新鮮で楽しかったです。イーハトーブさん、また宜しくお願いします。

で、小休止の間に昭和初期の地図の話になり、以前書いた白鳥越(別名:青山越)の入口が間違っていたので気になっていると話したら、近くだから見に行こうと言う事になりました。


ここが、以前白鳥越入口だと書いた道です。私の2万5千分の1の地図(昭和50年代に発行されたものだと思います)には、実線(幅員1.5~2.5mの道路)で引かれた道が、此処から壺笠山の手前を通って四ツ谷川の林道へと繋がっています。
で、この道が壺笠山城への大手道だと思っていたのですが、昭和初期の地図では、この道は壺笠山頂上から200mほど下の谷筋で終わっていて、壺笠山へは京阪石坂線穴太(あのう)駅横の道を上って行くようになっています。
その道を穴太道と言ったようですが、現在は穴太道のルート上が「湖の美が丘団地」と言う住宅街になっており、穴太道は無くなってしまったようです。
痕跡を探しに住宅街を上っていったのですが、何も見つかりませんでした。

※先ほど検索したら、一番上の突き当たりの杉林に細い山道が有るようです。(見落としました)

ので、別の林道から回り込みました。


一つの林道の突き当たりで、壺笠山城下辺りになります。石垣が崩れたような痕に見えます。
'80年代の事ですが、城跡には崩れていない石垣が少し残っていました。


大手道だと思っていた道ですが、どうも広すぎるようです。'70年代後半頃に作られた林道なのかも知れません。
'80年代の初め頃? 上から下ってきて身動きがとれなくなった車が放置されていました。今日は無かったので、何時の頃か片付けられたようです。


この林道に来たのは20年ぶりでしょうか?行き止まりまで走ってみました。
当時は砂利っぽくて土が剥き出しの林道だったのですが、この20年の間にすっかり草に覆われ良い雰囲気になっていました。

で、帰りにちょっと脇道に入ったら・・・


石の右横も地面が有る!と思って何気なく走ったら・・・
落ちましたーーーっ! 地面が有りませんでしたーーーーっ!
一人だったら持ち上げられませんでしたね。イーハトーブさん有り難うございました。助かりました。
こう言う事が時々ありますので、これからも宜しくね。うふっ!


フロントフェンダーの前側が上向けに曲がってました。
一応元に戻したんですが、(って、押し下げただけです)明日にでも外して再修理します。
ほな。


2011年8月14日日曜日

2日連続

どあって~ 暑いんだもん。


何時もの林道です。
ほんの少しですが水が流れていて、一日中?日が射さないのでちょっと涼しいのです。


此処を通り道にしている鹿の足跡。


周りはヒグラシだらけです。私はその日暮らしです。てへっ!


林道を引き返しO坂山頂上へ。


今日の琵琶湖。
良い天気です。ヨットが数十艇浮かんでます。


んんんんん・・・


これでイイのだー


2011年8月13日土曜日

久しぶりに

O坂山の尾根道を走ってきました。
2年余り走ってなかったのですが全くそんな感じがしなくて、ついこの間走ったような感じでした。
'90年代?に毎日走ってたので、(鉄塔を練習場所にしていた)イメージが出来上がってるんですねぇ。


京阪京津線追分駅の上です。


辺りは栗の木だらけ。
んが、小さい。


標高325メートル、O坂山三角点。


琵琶湖から上がってくる風が、気持いい。

あああ誰か、此処まで焼き鳥と発泡酒を持って来てくれないものか・・・


2011年8月6日土曜日

CB50系CDI点火KIT

以前製作して貰った、CB50系エンジンCDI点火用ステーターベースです。
微妙にネジ穴が狂ってて、売り物にならない残り物です。


狂っているとは言うものの、コイルがフライホイールに接触さえしなければ使える訳で・・・


勿体無いので、残り部品で組んでみました。
足りない部品も有りましたが、M6厚さ3ミリのアルミワッシャー以外は代用品?で何とか完成。


イグニッションコイルはTLM220用です。(ハイテンションコードは変更してます)

肝心のCDIは中国製。(使えそうなものがこれしか無かったので・・・)
が、ちょっと心配です。CD50改90のテストではエンジンがかかって走れたんですが、このCDIキットには合わないかも知れませんし、火花が小さくてパワーが無いかも知れません。
このCDIが駄目だったら(気に食わなければ)レーシングCDI購入!と言う事になります。

しかーしっ!作ってしまったものの、テストするバイクが有りません!

かと言って売る事も出来ないし・・・

「ポイント点火のTLR80を持ってるけどぉ、無料だったらテストしても良いけどぉ、アルミワッシャーなんか簡単に作れるんだけどぉ」と言う、奇特な方が何処かにおられたら良いのだが・・・


2011年7月16日土曜日

♪あるぅ~日

あるぅ~日

森のな~か

森のな~か


ぺンチがぁ

ぺンチがぁ

落ちてぇいた

落ちてぇいた


またかよっ!

ランランランランランラァ~ラァ~ラァ~
ランランランランランランラァ~

前回のペンチから10メートルくらいしか離れていません。

な・ん・で?

流行?


2011年5月3日火曜日

あああ~

家を出て1分後には渋滞してました。
んで、裏道を通ってスタンドへ行くと・・・やっぱり、どうしても、何故か、不思議に、奇遇にも、イーハトーブさんとバッタリ!
で、ちゃっかり、二人で出かける事に。
国道は渋滞中のようなので、「おぜき峠」を通って大津へ。名神大津インター入口からは何時ものコース。スムーズに走れます。チラチラ見える名神も、スムーズ?に流れている模様。
「京都東インター辺りだけが渋滞かぁ?」と思いながら、裏通りから京滋バイパス側道へ入った途端に渋滞。
「やっちまったな~ 国道1号線にすればよかった」
しかし、何処かで瀬田川を渡らなければならない訳で・・・諦める。
が、混んでたのは瀬田東インター手前まで、後は栗東までスイスイ。

去年フキを見つけた砂防堤で小休止。フキは去年よりミニサイズになっていました。なんで?
タラの木も数本有ったのですが、葉っぱになってたり、二番芽だったりで、収穫無し。


さらに林道2本を探索してみましたが、やっぱり何も無し。


ここで昼食。
うろうろしてて時間がかかってます。


前回も来た林道です。
この林道沿いで少しタラの芽を収穫できました。
イーハトーブさんが、この場所から少し下った谷川斜面で、鹿らしき死骸(ほぼ白骨)を発見。近付くとかなりの臭いが・・・

一度信楽に出て、別の林道2本を走って舗装路に戻った途端、リヤが左右に流れ出して落ち着きません。
「おっかしいなぁ パンク?」


木片?が刺さってる!「そんな馬鹿な!」
※タイヤが交換時期を過ぎてるのは気にしないでください。


骨!有り得ない!
有り得ませんが、有り得ました。何かの動物の骨が刺さってパンクしてたんです。


エマージェンシースタンド、タイヤレバー、ポンプ、パッチなど一通り持ってたんですが・・・


ペーパーが有りませんでしたっ!
苦肉の策で、ナイフでチューブ表面をこそげているところです。

で、修理が終り空気を入れる段になって、自分の携帯用ポンプを使った事がない事に気付く。
そこでイーハトーブさん登場!
キラ~ン!「このポンプで入れてあげるわさぁ」シュコッ!シュコッ!シュコッ!
「おお~早い!携帯用ポンプで、チューブレスタイヤの耳が出せるのかぁ?」
「ほら出る」
「出る気満々だしー」
と、イーハトーブ様のお陰を持ちまして、無事に耳も出せて、気持よく何時ものコースを帰ってこれたのであります。


本日の収穫です。

右端の物が何故か黄色い。黄砂まみれ?


2011年4月27日水曜日

第三万七千六百三十二回 全日本独走の御知らせ

今年も 独走の季節と相成り候
皐月の爽やかなる風の中 時速三百㎞にてのんびり走る所存


決行の日取りは 平成二十三年五月三日(四つ時)何時もの油屋にて給油の後 近江の国某所を行脚予定
彼の地は少しばかり高所なれば 前回の行脚は逸り過ぎやも知れず タラの芽は今が旬かと思わるる  ルル三錠
楽しみがいや増して御座候

ほな


2011年4月24日日曜日

トンネルが掘れなくて

現在、京都駅から山科駅までの所要時間は5分ほど。トンネルを抜けるたら、もう山科です。

しかし、東山トンネルが出来るまではかなり遠回りだったようです。京都駅を出た列車は東山を避けて南へ、稲荷山を周り込むように東へ向きを変え、やっと山科へ。

当時の山科駅は外環状線と名神の交差した辺りに在り、その頃の山科の中心地(旧三条通りの安祥寺通りから四宮辺りか?)から歩くと30分はかかりそう。
さらに山科駅から京都駅までの乗車時間を30分と見積もると、山科中心部から京都駅までは1時間ほどかかったかも知れません。


明治45年測図 2万分の1地形図 部分 大津街道│神谷ホームページさんでお借りしてきました。

1879年8月18日に京都~大谷間で仮開業したこの路線は、1921年8月1日の新線(現在の東海道本線)開業まで使われ、残された路線の京都~深草間は奈良線に転用。深草から名神高速大津インター入口辺り(大津駅、膳所間)までの路線は完全に廃線となり、後に名神高速道路(一部一般道)になりました。


Yahoo!の航空写真です。

航空写真だと路線跡が良くわかります。凄い時代ですね。


<25日追記>
1932年(昭和7年)京都東南部:国際日本文化研究センター所蔵地図
昭和7年版ですので、旧東海道線は既に廃線になっているのですが、廃線跡がハッキリ載っています。数回クリックして拡大してご覧ください。


2011年4月23日土曜日

トンネルの掘り方

1970年頃の山科疏水諸羽船溜りです。
1960年代の中頃までだったでしょうか、夏になると疏水の舟溜りが子供たちのプールになっていました。
四宮(一灯園)の舟溜りが音羽小学校で、この諸羽の舟溜りが山階小学校のプール代わりでした。
しかし、湖西線の工事により四宮~諸羽間は埋め立てられ、現在は諸羽疏水公園になっています。

残念ながら、もうこの景色を見ることは出来ません。


Y原氏撮影

知り合いのお父上が疏水の研究をされている方なので、私如きが疏水について語るのはどうかと思うのですが、トンネルの掘り方で「おーっ!」と思うことが有ったので書こうかなと・・・

両側からトンネルを掘っていったとして、どうして曲がらずに掘れるのか?真っ暗な穴の中でどうして途中で出会う事が出来るのか?
少しでもズレてたら、すれ違ったまま堀り続ける事になる筈なんですが・・・
疑問に思った事は無いですか?

と言う事で、タイトルの「トンネルの掘り方」です。(疑問を持った人だけ読みましょう)


第3トンネル西口 1885年頃 京都府立総合資料館蔵

写真の真ん中手前に旗が立ってます。この土台が測量標石で、山の中央の木が切られている所の頂上にも同じ測量標石が有って、目印の旗が立っています。
で、トンネルの両側とも、手前の旗から山の上の目印の旗まで、一直線に穴を掘っていたんですね~
これで、確実に出会える。かしこっ!

2400m以上ある第1トンネルは、当時日本最長のトンネルでした。
このトンネルが掘られるまで日本にトンネルの掘削技術はなく、このトンネルの成功によって、東海道本線の東山トンネルを始め、多くのトンネルが掘られるようになったそうです。


2008年11月13日撮影

小関峠から少し上った所に残っている、第1トンネルの測量標石です。

以上!
「おーっ! 」っと、思った事でした。


2011年4月21日木曜日

スカルプチュア その後

タラの芽ツーリングの「あーでもない、こーでもない」コーナーで、「もう少しスカルプチュアの記事が早ければプラリペアを買わなかったのにぃ!」と、スカルプチュアが話題に上っていたので、その後の様子を・・・


先ず風呂(ポリ浴槽)が微妙に漏れている気がしたので、気になる箇所にスカルプチュアをなすくり付けました。

で、気が治まりました。

次にテレビが割れたので(家電は叩いて直すのが基本ですが、叩き過ぎました)接着しました。

で、気が治まりました。

さらに、電動ポンプがポッキリ折れていたので・・・


で、気が治まりました。


すっかり元通り。的な。

以上。バイクでは使う機会が有りませんが大活躍してますねん。

と言う事です!


2011年4月17日日曜日

第7831回 タラの芽収穫ツーリング

今日は、偶然スタンドでお会いしたお二人と、タラの芽収穫ツーリングに行ってきました。
国道1号線を東へ、滋賀文化ゾーン、栗東トレーニングセンター、石部、○○寺(記憶喪失)から山へ。

とりゃー!


道沿いの何個かは採られていましたが今年の初収穫。なかなか良い個体です。幸先良し。
この調子なら、今日の目標6トンは軽くクリアかも・・・
この後も林道沿いで何個か収穫。山を越えて本命の林道へ。
道沿いに数十本?生えているんですが、全てが採られた後・・・此処での収穫ゼロ!
で、何時ものコンビニで昼食購入。


信楽の某砂防堤で昼食です。
ここは以前からバイクが走ってましたが、久々に来たらモトクロス練習場のようになっていました。

時速300kmで遊んでいるお二人です。ピントを合わせるのが大変・・・

昼食後、第二名神沿い、砂山の林道、名も無い林道と、タラの芽を捜し回ったのですが・・・


結局何も収穫できず、某砂防提で小休止。
あーだこーだ、あーだこーだ・・・
だからぁ、あーだこーだ、あーだこーだ・・・
でぇ、あーだこーだ、あーだこーだ・・・

良し!帰ろう!

と言う事です。


2011年4月16日土曜日

三色しだれ桃

外環状線、音羽川のほとりにある「三色桃」です。
赤、桃、白に、白に赤が混じった4種類の花が咲いてます。


この間イーハトーブさんに教えて頂くまで、桃だとはまったく気付きませんでした。ただただ不思議だな~・・・と

「多色」「桃」で検索した所、突然変異と言う事ではなくて、接木で作った?「三色しだれ桃」と言うものだそうな・・・

と、分っても、見るとやっぱり不思議です。
なんで、なんでなの~


2011年4月10日日曜日

行きも帰りも渋滞の道へ(おとぎ電車の痕跡探し)

今日は絶好のツーリング日和でした。
タラの芽を求めて南に走りだしたのですが、旧奈良街道は大渋滞。
「あいたっ!天気が良い!桜満開!秀吉もびっくり!醍醐の桜!名所!みんな行く!渋滞!参った!」
で、新奈良街道から日野を通って炭山経由で天ヶ瀬ダムへ。

「あ、おとぎ電車!」


思い出したので、ちょと寄り道です。
バイクを止めた辺りに「おとぎ電車」のアーチがあったそうですが、何の痕跡もありませんね~


煉瓦造りの建物が旧志津川発電所で、この建物の裏側に駅への道が有ったようですが、立ち入り禁止で入れませんでした。

右端の、コンクリート護岸になっている辺りから、おとぎ電車の敷地だったのかも知れません。


上の写真の右側を撮影してます。

ダムの真下辺りが天ヶ瀬駅の駅舎になりそう・・・

と、ウダウダしてたらもう11時。タラの芽を求めて再出発!
天ヶ瀬から青山トンネルを抜けて宇治田原。ここで右折をして井手町を目指すつもりだったのですが、またまた心変わりして左折。
郷ノ口から猿丸林道をダラダラと走る。桜と梅が美しい高尾の集落を過ぎ、大峰山の三角点で小休止。
さらにダラダラと走って猿丸神社。

「あ、去年行ったタラ畑はどうよ?」


な~んも芽吹いてませんでした。
「じゃ、新しい道のタラはどうよ?」と、思ったものの・・・

曽束でうっかり左折。曽束大橋を渡った所でやっぱり左折。
「れ、二ノ尾!」 から、そのまま山越え。
「ら、炭山!」 から、山を下りたら日野。んで、醍醐がまだ渋滞してましたーっ!!
「な、な、なんちゅうこっちゃ!同じ所に戻ってくるなんてっ!オレって記憶力ゼロかいなーっ!」

と言う事でした!