2008年12月5日金曜日

旧東海道本線追分辺り

京都~大津間の名神高速道路が、旧東海道本線の跡地に造られたと言うのは結構知られていると思います。
しかし、全てのルートが名神高速道路になった訳ではなくて、一般道として使われている部分も有ります。
深草~大岩山辺りまでの大岩街道。名神と奈良街道の交差部分~小山のひょうたん池までの道。逢坂山トンネル東口~名神大津インター入口までの国道1号線部分。

で、本題。なぜこの道が有るのか?40年近く前から気になってる道が有ります。


京都東インターの北側を通り、追分のポリボックスのところで旧東海道と国道1号線に合流する道です。
初めてこの道を歩いた時に、なんか変な印象を受けました。街道でもなく。農道でもなく。山道でもなく。住宅街でもなく。(現在は住宅が並んでます)何故この道が必要だったのか・・・
と言う事で、これは旧東海道本線の跡地なんじゃないでしょうか?
南から上がってきた名神が、曲がらずに直進したとしたらこの道に接続されそうです。接続されてから右へ曲り、旧東海道との合流地点辺りで再度名神と合流するのです。
ね、いい感じのカーブに見えるでしょ?


<12月6日追記>
今朝、地図に追分町と書いて有る、文字の5~10m上へ行ってきました。
そこから南側を見た景色です。


名神が尾根を横切って造られているのが良く解りますねぇ。で、真ん中に小さく残る、取り残された尾根の右端が人工的なアールに見え、何の問題も無く現在の名神と接続できそうです。
今の名神の部分は当然山で、このアールの部分に有った旧東海道本線を、蒸気機関車がえっちらおっちら走っていたんだと思うんですが・・・


2008年11月29日土曜日

四宮河原

平家物語 〈六代〉

「最後の御供で候らへば、苦しうも候らはず」とて、血の涙を流して、足にまかしてぞ下りける。若君は、さしも離れ難くおぼしける母上、乳母の女房にも別れ果て、住み慣れし都をば、雲井のよそに顧みて、今日を限りの東路におもむかれけん心のうち、推し量れてあはれなり。
駒を速むる武士あれば、我が首切らんかと肝を消し、物を言い交わすもの有れば、すは今やと心を尽くす。四宮川原と思へども、関山をもうち過ぎて、大津の浦にもなりにけり。粟津の原かとうかがへば、今日もはや暮れにけり。国々宿々うち過ぎうち過ぎ下りたまふほどに、駿河の国にもなりしかば、若君の露の御命、今日を限りとぞみえし。


伊勢参宮名所図会 〈東海道 四宮村 四宮川 巡地蔵〉
橋の両側にスロープが有ります。牛馬や大八車などを通す為の道で、鴨川に掛かる橋には今でも残っている所があります。


この絵の右下方向(北西)から撮影した画像で、奥側が逢坂山(大津)方面です。


左の建物が絵に書いて有る巡地蔵。(徳林庵の六角堂)です。
ベンチの向こうに見えているのが四宮川にかかる橋。軽自動車の向こうの建物はお茶所で、古い茶釜が有ります。
この場所は飛脚や旅人の休憩地だったそうで、手前に見える馬の為に掘られた井戸には、日通のマークである○に通の文字が彫られています。

毎年8月22~23日の地蔵盆には、山科~四宮間は通行止めになり、多くの夜店で賑わいます。
昔は、山科の中心と言えば、ここ四宮川原だったのかも?知れませんねぇ。


2008年11月27日木曜日

林道

行ったのは3週間ほど前でーす。今頃アップしてまーす。すんませーん。

小関峠付近に新しい林道が出来てました。




入口にロープが張ってあり入れませんので、尾根道にバイクを止めて歩いて下りました。
左の林道の所は元々山道が有り昔走った事が有るんですが、こうなるとまったく場所の特定が出来ません。
右の道を上ってみます。




つい最近まで林道は無かったように思うんですが、砂利が敷いてある部分のノリ面は苔が生えてますので、出来てからそれなりの時間がたっているのでしょう。
で、次のコーナーを曲がったら・・・




工事中でした。木も切ってません。
狭い範囲の短い林道で、バイクに関係ないと言えば関係無いんですが・・・