記憶が残ってるうちに?書いておきます。
TL50です。
記憶があやふやなのですが、'80年代の終わり頃から'90年代の初め頃まで?乗ってました。
エンジンとメーターはCB50になってたので、TLなのにタコメーター付きだったような?(き、記憶が・・・)
TL50の次に乗った、TLM50改TLR80です。
TLM50の車体にXL80Sのエンジンが載せてあり、マフラーはTLR200でタンクはCD125です。
'90年代の初めから?'00年代の初めまで乗ってました。
この2車に共通していたのは、すこぶる調子が悪い!と言う事です。
TL50はSバイク店、TLM50改TLR80はYバイク店と言う、違うバイク屋さんで買ったにもかかわらず、まったく同じ症状。
火花バチバチで始動性は良かったのですが、アクセルにエンジン回転がついてこない!アクセルをそ~っと開けて暫く待つと、ウ~~~~ン、パンッ!パンッ!と、アフターファイヤーを起こしながら回転が上がってくるのです。なので天下一品のアホでもバカでも鈍感でも、このバイクはおかしい!と分かるんですね~
これはポイントだ!バルブタイミングだ!キャブセッティングだ!バルブ磨り合わせだ!いやいやピストンとリングを新品に!と、弄りまくったのですが変化は僅か・・・原因不明でお手上げ状態。
「古くなるとポイントが濡れるから・・・」と、訳の分からない事を言い出すバイク屋さんも出現する始末。
そんなバイクでも慣れれば乗れるもので、通勤にツーリングにとお気に入りのバイクでした。
が、ある年の正月2日、急にCDI点火にする事を思い立ち、すぐさま実行。
内蔵ピックアップで、フライホイールの磁石の位置を読み取れば点火時期が決められる筈だ。と、試行錯誤して何とかテスト走行まで漕ぎ着けました。
すると、正確な点火時期はまだ決まってなかったにもかかわらず、普通に回り普通にアクセルに反応するようになりました。
と言う事は、
あの回転不良の原因はイグニッションコイルだ!
そうです。数年間に渡って悩まされたエンジン回転不調は、キャブセッティングでも機械的な部分でもなく、電気!
バチバチと火が飛び、良好な始動性で見逃していたイグニッションコイルが原因だったんです。
意図せず原因は分かったものの、せっかく始めたCDI化でしたので、我がバイクはそのままCDIにしてしまいました。
後に、Sバイク店に有った同じ症状のCB50?のイグニッションコイルを新品にして、原因がイグニッションコイルで有る事を確認しました。
'98~'00年頃の事です。当時の価格は2.000円位だったような・・・
もっと早く原因が分かっていれば、2.000円で気持ちよく乗れていたのにね~
2013年1月23日水曜日
2013年1月20日日曜日
旧東海道本線追分辺り その2
2008年12月5日旧東海道本線追分辺りと2013年1月4日長年の疑問解明の続きです。
私の疑問は「京都 山科 東西南北」で解決したのですが、福岡のゆおりんさんに、1972年発行の「地図の楽しみ」(堀 淳一著)にその話が載ってる!と教えて頂き、早速オークションで落札しました。
安く(200円)手に入ったと喜んでいたら・・・
amazonだったら27円で売ってる!とゆおりんさんに突っ込まれ、半泣きになりました。(さめざめ、さめざめ・・・)
amazonって、古本まで売ってたのねーーーーーーっ!
著者の堀 淳一さんがこの辺りを踏査されたのは、1966年の4月と7月だそうですので、私が「この道変だな~」と思った2、3年前の事のようです。
その頃の道が・・・
懐かしい風景なのですが、40年と言う時の流れで記憶はおぼろげです。
十代の私は、この道を歩いて違和感を感じたんですね~
ちなみに、後の尾根に有る鉄塔は今でも有ります。
今日のほぼ?同じ場所です。
これです!
これが40数年間の疑問の答えです!
でも、この図は少し違うような・・・
この図では廃線跡が京都東インターの外になってますが、廃線跡はインターチェンジの中になるように思います。
ちゅうか、ゆおりんさん有難うございました。どうやって本の中身が分かったのかとても不思議です。
私の疑問は「京都 山科 東西南北」で解決したのですが、福岡のゆおりんさんに、1972年発行の「地図の楽しみ」(堀 淳一著)にその話が載ってる!と教えて頂き、早速オークションで落札しました。
安く(200円)手に入ったと喜んでいたら・・・
amazonだったら27円で売ってる!とゆおりんさんに突っ込まれ、半泣きになりました。(さめざめ、さめざめ・・・)
amazonって、古本まで売ってたのねーーーーーーっ!
著者の堀 淳一さんがこの辺りを踏査されたのは、1966年の4月と7月だそうですので、私が「この道変だな~」と思った2、3年前の事のようです。
その頃の道が・・・
懐かしい風景なのですが、40年と言う時の流れで記憶はおぼろげです。
十代の私は、この道を歩いて違和感を感じたんですね~
ちなみに、後の尾根に有る鉄塔は今でも有ります。
今日のほぼ?同じ場所です。
これです!
これが40数年間の疑問の答えです!
でも、この図は少し違うような・・・
この図では廃線跡が京都東インターの外になってますが、廃線跡はインターチェンジの中になるように思います。
ちゅうか、ゆおりんさん有難うございました。どうやって本の中身が分かったのかとても不思議です。
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そうだったのか
2013年1月14日月曜日
旧東海道本線 大塚信号所の痕跡?
旧東海道本線跡の道路に面した、妙見寺のブロック塀です。
Googleの航空写真で、妙見寺の塀の中に、コンクリート製と思われる平で細長い部分が有るのを見つけました。
オレンジの線と道路の間が、謎のコンクリート面です。
このコンクリート面は道路と同じ高さで、オレンジの線を引いた部分は石垣です。
石垣の形状は、妙見道南側のトンネル跡に残る石垣とそっくりです。
妙見道南側の石垣です。
石垣の最奥、木が生えてる所がトンネル跡です。
(追記)
上の画像は妙見道南側の一般住宅の土台部分ですが、石垣の上のコンクリート部分は、ひょっとすると妙見寺敷地内の謎のコンクリート面と同じものかも知れません。
昔は石垣が繋がっていてトンネルで潜る道しか無かったのかも知れません。
古い地図を見ると、妙見寺前で道がくの字にトンネル方向に曲がっていて、現在のように真っ直ぐにはなってません。
鉄道が無くなってから、石垣を崩して真っ直ぐな道にしたのだと思われます。だから妙見寺前が特に急坂なのでしょう。
謎のコンクリート面の石垣とトンネル跡の石垣は同じもののようですので、妙見寺敷地内に残る謎のコンクリート面も、旧東海道本線大塚信号所(右クリックして、マーキーズームで拡大すると読みやすいです)の一部だったのかも知れませんね。
Googleの航空写真で、妙見寺の塀の中に、コンクリート製と思われる平で細長い部分が有るのを見つけました。
オレンジの線と道路の間が、謎のコンクリート面です。
このコンクリート面は道路と同じ高さで、オレンジの線を引いた部分は石垣です。
石垣の形状は、妙見道南側のトンネル跡に残る石垣とそっくりです。
妙見道南側の石垣です。
石垣の最奥、木が生えてる所がトンネル跡です。
(追記)
上の画像は妙見道南側の一般住宅の土台部分ですが、石垣の上のコンクリート部分は、ひょっとすると妙見寺敷地内の謎のコンクリート面と同じものかも知れません。
昔は石垣が繋がっていてトンネルで潜る道しか無かったのかも知れません。
古い地図を見ると、妙見寺前で道がくの字にトンネル方向に曲がっていて、現在のように真っ直ぐにはなってません。
鉄道が無くなってから、石垣を崩して真っ直ぐな道にしたのだと思われます。だから妙見寺前が特に急坂なのでしょう。
謎のコンクリート面の石垣とトンネル跡の石垣は同じもののようですので、妙見寺敷地内に残る謎のコンクリート面も、旧東海道本線大塚信号所(右クリックして、マーキーズームで拡大すると読みやすいです)の一部だったのかも知れませんね。
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