2021年2月14日日曜日

思い出を訪ねて走ってみました。

mumuさんの「今日のお散歩」を読んだわたくしは、昔の事を懐かしく思い出したのでありました。

記事を読んでると、私が走ってた頃とは入口が違うようだ。
今はもうすっかり下手くそになったのでその道を走れるとは思えんが、昔の入口がどうなってるかだけでも見てみたい。
それ!




ほれココ。
入口の一つです。




幅30cm~40cmくらいか?




反対側から見るとこんな感じ。
ここをバイクで渡ってたなんて、当時は本当に感覚がバカになってたようです。
今となってはとてもじゃないが渡れません。




渡った先は工事中で、昔の道は無くなってました。




ので、反対側から入ってみました。




こちら側は道が残ってました。
送電線の巡視路としてか?

このまま進んでも、先ほどの丸太橋までの道は無くなってる筈ですので、ここで引き返して先へ進みます。




てっ!
記憶にない池だ。
20年の間に出来たのか?

<追記>
国土地理院の地図で確認したところ池は存在してました。
1997年までの地図と現在の地図を見比べてみたら微妙にルートが変わっていました。

がしかし、案内板を見ると道は間違ってないようだ。
もう少し入ってみよう。




う~む・・・

この先は階段。
今日はこれくらいにしといたらー (´;ω;`)ウゥゥ


2021年2月11日木曜日

HDDの修理 なのかぁ?(笑)

そうです。
基板を交換したけど駄目だったHDDです。




どうせ駄目だし、音が酷いんだからディスク以外の部品が壊れているんじゃないの?
ディスク以外の部品を交換したら直るんじゃないの?
と言う、素晴らしく単純な考えで開けちゃいます。
それ!




おお~ ピッカピカ。




これを交換したら直るのさ。
それ!

う~ん、磁力が強くて作業がし辛い・・・




まぁ、少ない部品点数だこと。




これが作業をし辛くしている部品です。
メッチャ磁力が強くてドライバーが引っ張られます。




で、こちらは使えるHDD。
同じく分解します。




てっ!
磁石に引っ張られてなんやかんやしてるうちに、先端の磁気ヘッドを支えてるアーム?部分が曲がってました。
壊したか・・・(´;ω;`)ウゥゥ




とは思いつつも、無理矢理戻して組み立てました。
もうムッチャクチャ。
クリーンルームで作業する精密部品もなにも有ったもんじゃない・・・




でも、見た目は元通りです。( ^ω^)




と言うような楽しい作業の結果!
元より酷く壊れてました。( ´艸`)エヘヘヘ


2021年2月10日水曜日

Hondaの挑戦が生んだ、トライアル世界チャンピオンの系譜

コロナ禍の自宅待機にピッタリ!
長~い特集記事です。
トライアルファンであっても無くても、読んで読んで読みまくりましょー!




第1期
4ストローク、第一世代(空冷/ツインショック)
モータースポーツへのあくなき情熱が生んだ、
最初の黄金時代


第1章
Hondaが作った国産初のトライアルバイクと、
走る場所。そして、文化

そもそもの始まりは48年前、Hondaが国産初のトライアルバイク、バイアルスTL125(4ストローク空冷/ツインショック)を、1972年の東京モーターショーで発表したことに遡る。そのTL125、つまりHondaが初めて作ったトライアルバイクのお披露目から10年後、1982年にHondaのワークスマシンRTL360(4ストローク空冷/ツインショック)は、エディ・ルジャーンのライディングにより初めて、「トライアル世界チャンピオンの系譜」にその名を記すことになる。


Honda初の2ストローク、TLMシリーズ

人は、何かを失うことによって、何かを得るという。Hondaという企業もまた、トライアルにおける4ストロークへのこだわりを捨てることによって、新たに2ストロークの可能性を追求、ついには4ストロークを上回る数々の栄光を勝ち取っていくことになる。