1970年頃の山科疏水諸羽船溜りです。
1960年代の中頃までだったでしょうか、夏になると疏水の舟溜りが子供たちのプールになっていました。
四宮(一灯園)の舟溜りが音羽小学校で、この諸羽の舟溜りが山階小学校のプール代わりでした。
しかし、湖西線の工事により四宮~諸羽間は埋め立てられ、現在は諸羽疏水公園になっています。
残念ながら、もうこの景色を見ることは出来ません。
Y原氏撮影
知り合いのお父上が疏水の研究をされている方なので、私如きが疏水について語るのはどうかと思うのですが、トンネルの掘り方で「おーっ!」と思うことが有ったので書こうかなと・・・
両側からトンネルを掘っていったとして、どうして曲がらずに掘れるのか?真っ暗な穴の中でどうして途中で出会う事が出来るのか?
少しでもズレてたら、すれ違ったまま堀り続ける事になる筈なんですが・・・
疑問に思った事は無いですか?
と言う事で、タイトルの「トンネルの掘り方」です。(疑問を持った人だけ読みましょう)
第3トンネル西口 1885年頃 京都府立総合資料館蔵
写真の真ん中手前に旗が立ってます。この土台が測量標石で、山の中央の木が切られている所の頂上にも同じ測量標石が有って、目印の旗が立っています。
で、トンネルの両側とも、手前の旗から山の上の目印の旗まで、一直線に穴を掘っていたんですね~
これで、確実に出会える。かしこっ!
2400m以上ある第1トンネルは、当時日本最長のトンネルでした。
このトンネルが掘られるまで日本にトンネルの掘削技術はなく、このトンネルの成功によって、東海道本線の東山トンネルを始め、多くのトンネルが掘られるようになったそうです。
2008年11月13日撮影
小関峠から少し上った所に残っている、第1トンネルの測量標石です。
以上!
「おーっ! 」っと、思った事でした。