2009年6月20日土曜日

進入禁止

先週の林道の続きと、20数年前に走った道を再び走ってみようと大津市桐生町へやってきたのですが・・・


様変わりしていて、何処も彼処も進入禁止になっていました。
第2名神の工事のせいばかりでもなさそうです。

桐生町から5kmほど東に桐生辻と言う集落が有りました。
調べた訳では有りませんが、桐生と言う地名から同じ文化圏じゃないんでしょうか?
現在は大戸川沿いに舗装道路が有りますが、急峻な大戸側沿いに道が無かったとすれば、通行止めにされた道は桐生と桐生辻を結ぶ重要な道路(信楽へと繋がる現在で言う県道の役目?)だった筈。
舗装されなかったから、車社会のメインでは無くなったから、と言うことだけで通行止めにして良いのでしょうか・・・
車社会に生きる我々は、舗装道路を通って他所の町へ行きます。
で、舗装道路で繋がっていると同じ文化圏だと思い込んでしまいます。しかし、その舗装道路は重機で無理やり造った物で、昔の様に人の往来で繋がった文化圏では無かったりします。

例えば、京都の大原に大原大見町と言う集落が有ります。
舗装道路からみると京都ですし、当然京都からしか行けません。しかし、文化は滋賀県の朽木と同じで京都とは違います。朽木から川を遡ってきた文化圏だったのです。

また、舗装道路を通ると尾根をグルッと回り込み車で30~40分かかるところでも、歩いて尾根を越すと10分もかからないと言う事もあります。車で行くと全く違う所にいったつもりでも、隣りだったりするんです。
危険だとか道が傷むとか色々理由付けされているのでしょうが、車社会になってから出来た道からばかり見ていては解らない事も有ります。昔から使われてきた道を通行止めにするのは如何なものでしょうか?
これでまた一つ、歴史が無くなるのかも知れません。
残念です。