2017年1月24日火曜日

YAMAHA オフロードマニア

2節 DT-1 誕生

ヤマハ発動機初のオフロードモデルとなるDT-1は、1967年10月、当時のヤマハの米国での販売会社、YIC(ヤマハインターナショナルコーポレーション)のディーラーミーティングで初めて披露された。“トレール”という新しいジャンルを提唱したそのスリムで美しいモデルは、日米で空前のオフロードブームを引き起こすこととなった・・・

第2節 DT-1 誕生


米国からのリクエストは細かく非常にハードルの高いものだった。「エンジンは250cc。モトクロスだけでなくトライアル的要素も兼ね備えること。公道でも獣道でも走れるもの」と。タイヤサイズ、タイヤパターン、サスペンション形式やストローク、ホイールベース、シート高、最低地上高など要求は多岐に及んだ。現地スタッフと本社開発スタッフのイメージがなかなかうまくシンクロせず、開発はとんとん拍子に…というわけにはいかなかったが、技術者たちは新しいハードルに挑戦し、乗り越えようという熱意を固めていく。そして、次の三つのポイントを重点的な開発方針に定めた・・・


3節 モノクロスサスペンション誕生の軌跡

その日は、モーターサイクル業界にも、ヤマハ発動機にとっても歴史的な日となった。モトクロス250cc世界選手権フィンランドGP、1973年の8月5日。革新のサスペンションを装着するヤマハファクトリーマシンYZM250を駆るハカン・アンダーソンが両ヒートを制し、自身とヤマハに初の世界チャンピオンをもたらしたのだ。
後に世界のモーターサイクル用サスペンションの基準となる1本型サスペンション、”モノクロスサスペンション”が、その潜在力と可能性を世界に立証した瞬間だった・・・

第3節 モノクロスサスペンション誕生の軌跡


そんな1972年シーズンのある日、契約ライダーのベルソーベンがGPチームを統括していた鈴木年則に呟いた。「面白いマシンがあるので、見に行こう」と。鈴木はベルギーのリエージュ工科大学教授ルシェン ・ティルケンズ博士宅へ向かい、その工房で1本型のショックアブソーバーを目にした。「もしかするとモトクロッサーの性能アップに繋がる可能性があるかもしれない。検証する価値はある」と、欧州のヤマハの拠点Yamaha Motor N.V.と磐田の本社にこの情報を伝えた・・・


YAMAHA オフロードマニア

4 件のコメント:

ワタヤン さんのコメント...

モノクロスサスはヤマハの発明だとばかり思っていましたが違ったのですね。

やはり西洋の方の方が発想力があるみたいですね。
そのアイディアを発展、改良するのは日本人のお得意ですが。

ホワイト さんのコメント...

ヤマハの木村氏が考案したものとおもっていました。トライアルの方がモトクロスより早かったように思っていました。リンク式のモノクロスはホンダですか?
電動トライアル車、違和感ありでしたがなんとなく乗れました^o^、フットブレーキはなかったような気がします。さっきのことも忘れるので、かなり前ことはほぼ覚えていません!

buratto28go さんのコメント...

ワタヤン、私もそう思ってました。
マツダのローターリーエンジンのようなことでしょうか?アイデアはヨーロッパ、実用化するのは日本みたいな。

にしても、革命でしたね~
並んで走るビデをを見ましたが、2本ショックは暴れる暴れる。あんなに違うのかと。また、あんなに振られる2本ショックに乗ってるライダーを、上手いな~と、変な感心をしました。(笑)

buratto28go さんのコメント...

ホワイトさん、TY250Rが出た途端、試合会場が真っ白になりましたね~
その前に、TLRがバカ売れしたのでスズキもトライアル車を開発してたようですが、モノサスTYRの登場で中止になったような?
凄いインパクトで、あっと言う間に世界中のトライアル車が1本サスになってしまいましたね。

ホンダは最初からリンク式だったと思いますが、最初にリンク式にしたのはどこなんでしょうね~

と、やっぱり電動に乗ってたんですか。凄いな~。
フットブレーキは付いてたけど、忘れたとか・・・?(笑)