平家物語 〈六代〉
「最後の御供で候らへば、苦しうも候らはず」とて、血の涙を流して、足にまかしてぞ下りける。若君は、さしも離れ難くおぼしける母上、乳母の女房にも別れ果て、住み慣れし都をば、雲井のよそに顧みて、今日を限りの東路におもむかれけん心のうち、推し量れてあはれなり。
駒を速むる武士あれば、我が首切らんかと肝を消し、物を言い交わすもの有れば、すは今やと心を尽くす。四宮川原と思へども、関山をもうち過ぎて、大津の浦にもなりにけり。粟津の原かとうかがへば、今日もはや暮れにけり。国々宿々うち過ぎうち過ぎ下りたまふほどに、駿河の国にもなりしかば、若君の露の御命、今日を限りとぞみえし。
伊勢参宮名所図会 〈東海道 四宮村 四宮川 巡地蔵〉
橋の両側にスロープが有ります。牛馬や大八車などを通す為の道で、鴨川に掛かる橋には今でも残っている所があります。
この絵の右下方向(北西)から撮影した画像で、奥側が逢坂山(大津)方面です。
左の建物が絵に書いて有る巡地蔵。(徳林庵の六角堂)です。
ベンチの向こうに見えているのが四宮川にかかる橋。軽自動車の向こうの建物はお茶所で、古い茶釜が有ります。
この場所は飛脚や旅人の休憩地だったそうで、手前に見える馬の為に掘られた井戸には、日通のマークである○に通の文字が彫られています。
毎年8月22~23日の地蔵盆には、山科~四宮間は通行止めになり、多くの夜店で賑わいます。
昔は、山科の中心と言えば、ここ四宮川原だったのかも?知れませんねぇ。
2 件のコメント:
2008/11/29 22:41
知らぬ土地の縁日ってなんだかいいです!来年の地蔵盆は浴衣着てバイクを飛ばして行きましょうかぁー!
http://blogs.yahoo.co.jp/nananeco769
2008/11/30 8:05
初めて行ったのは昭和30年代の事です。まだ東山区山科で人口が少なかったんですが、当時から大賑わいでした。
今でも山科最大のイベントなんですが、気付いた時には終わってる事も多く出かけなくなりましたねー。
どあってぇ、オッサンなんだもん。
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