●洗髪
●窓拭き
●料理
●体臭落とし
●痛み止め
●鍋の焦げ落とし
●衣類の汚れ落とし
●ナメクジやカタツムリの駆除
●おなかを整える
●スカンクのオナラの臭いの消臭
●クラゲに刺された時の応急処置
●爆発を起こす
なんて、もう飲み物の効用とは思えませんが、検索で出てきたコーラの意外な使い方あれこれです。
さらに・・・!
水かコーラかの選択さんによりますと・・・
コーラに関するデータ
1.米国内の数多くの州では、ハイウェイ・パトロールは常に2ギャロン(約7.5リットル)のコーラを車のトランクに貯蔵している。これは自動車事故後に血液を洗い落とすために使う。
2.T-ボーンステーキをコーラの入った大鉢に入れておくと、2日で溶けてしまう。
3.トイレの洗浄用:コーラを一缶トイレに流し入れ1時間ほど放置した後で水を流す。コーラに含まれているクエン酸が硝子状陶器に染み付いた汚れを取り除ききれいになる。
4.車のクロム製バンパーの錆取り:くしゃくしゃにしたアルミ箔をコーラに浸してバンパーをこする。
5.車のバッテリー端子の腐食を取り除く:コーラを一缶、バッテリー端子に注いで気泡を発生させて腐食を取り除く。
6.錆びたボルトを緩める:コーラに浸した布切れを錆びたボルトに数分間当てる。
7.洋服から油脂を取り除く:油脂がついた洋服を洗濯機に入れ、コーラを一缶注ぎ洗剤を加えて通常の洗濯サイクルで洗う。コーラが油脂のしみを浮かして取り除くのを手助けする。
その他のデータ
1.コーラのペーハーは2.8で活性成分はリン酸からなっている。約4日間で爪を溶かす。また、リン酸は骨からカルシウムを浸出させ、骨粗しょう症増加の大きな原因となっている。
2.コーラの濃縮シロップを運送する輸送トラックは侵食性が高い材料に使われる危険物のマークを表示しなくていけない。またトラックの運転手は危険物取り扱いのコースを受けている。
3.コーラの配給業者は、自社トラックのエンジンを洗浄するのに過去20年以上コーラを使っている。
マジかっ!
とても飲み物とは思えない!
やっぱり東山サイダーとパレードがいいのねーーーーーっ!
2013年7月24日水曜日
2013年7月21日日曜日
2013年7月20日土曜日
2013年7月17日水曜日
菱形基線測点 京都基線
お気に入りのトレッキングコースに設置されている、菱形基線測点の話です。
今までに千回以上見てる筈なんですが、なんの為に設置して有るのか知らなかったんです。
んで、「初めて見てから30周年記念!」くらいなので調べてみました。
説明しよう!
菱形基線とは、地球の表面の歪みを知るために設置されたものである。その配置測標4点が菱形である事から命名されたのだ。
選定された4点の相互の距離プラス対角の2点の距離を測定することによって、菱形の面積の変化、土地の水平変動及び歪みを検出し、地震予知の資料として役立たてるのだ。
しかーし、現在ではGPS測量となり、菱形基線測点の観測は行われなくなったそうな。
んで今では、これらの測点は歴史的遺産になってきてる?のかも?知れない?
菱形基線は全国16箇所に設置され、京都基線は山科区を取り囲むNO.29~NO.32だったのだ。
全国でたったの16箇所なのに、なぜか山科区が入っていたんですね~(驚)
NO.29
測点名:大文字山
概略位置:東経135度48分42秒、北緯35度01分10秒
備考:三等三角点「鹿ケ谷」(TR35235461501)そば
1980年代~1990年代頃はよく行ってたんですが、写真は撮ってませんでした。
NO.30
測点名:追分
概略位置:東経135度50分46秒、北緯34度59分44秒
備考:逢坂山、三等三角点「神出」(TR35235369801)から南方に延びる尾根上
ここは千回以上行ってます。
NO.31
測点名:花山天文台
概略位置:東経135度47分38秒、北緯34度59分35秒
備考:京都大学花山天文台構内の太陽館前
NO.32
測点名:浄水場
概略位置:京都市山科区勧修寺丸山町
備考:京都市水道局新山科浄水場内
観測はとても大変だったようです。
観測機器を覆うため仮設の小屋を建ててシート等で風を防ぎ、三脚をセットして、その脚部には杭を打ち込み石膏等で固定。
垂直器等で「十印」中心と観測機器のセンターを一致させ、器械高を測定。
なお、観測時間帯は、1日のうちで気象条件の一番安定している時間帯に行われ、日没を挟んだ4時間で6セット(日没前3セット、日没後3セット)を測定。その間は、10分毎に気象観測(温度(乾・湿)、気圧)を行った。
※ ただし、気象の条件によって日の出前後4時間で観測がされることもある。
測量は、日を改めて2日間行われ、その日のセット内較差、セット間較差及び日間較差により測量の精度確認を行った。
参照サイト:一等三角点探訪 菱形基線測点
参照サイト:愛知の標石 菱形基線測点
今までに千回以上見てる筈なんですが、なんの為に設置して有るのか知らなかったんです。
んで、「初めて見てから30周年記念!」くらいなので調べてみました。
説明しよう!
菱形基線とは、地球の表面の歪みを知るために設置されたものである。その配置測標4点が菱形である事から命名されたのだ。
選定された4点の相互の距離プラス対角の2点の距離を測定することによって、菱形の面積の変化、土地の水平変動及び歪みを検出し、地震予知の資料として役立たてるのだ。
しかーし、現在ではGPS測量となり、菱形基線測点の観測は行われなくなったそうな。
んで今では、これらの測点は歴史的遺産になってきてる?のかも?知れない?
菱形基線は全国16箇所に設置され、京都基線は山科区を取り囲むNO.29~NO.32だったのだ。
全国でたったの16箇所なのに、なぜか山科区が入っていたんですね~(驚)
NO.29
測点名:大文字山
概略位置:東経135度48分42秒、北緯35度01分10秒
備考:三等三角点「鹿ケ谷」(TR35235461501)そば
1980年代~1990年代頃はよく行ってたんですが、写真は撮ってませんでした。
NO.30
測点名:追分
概略位置:東経135度50分46秒、北緯34度59分44秒
備考:逢坂山、三等三角点「神出」(TR35235369801)から南方に延びる尾根上
ここは千回以上行ってます。
NO.31
測点名:花山天文台
概略位置:東経135度47分38秒、北緯34度59分35秒
備考:京都大学花山天文台構内の太陽館前
NO.32
測点名:浄水場
概略位置:京都市山科区勧修寺丸山町
備考:京都市水道局新山科浄水場内
観測はとても大変だったようです。
観測機器を覆うため仮設の小屋を建ててシート等で風を防ぎ、三脚をセットして、その脚部には杭を打ち込み石膏等で固定。
垂直器等で「十印」中心と観測機器のセンターを一致させ、器械高を測定。
なお、観測時間帯は、1日のうちで気象条件の一番安定している時間帯に行われ、日没を挟んだ4時間で6セット(日没前3セット、日没後3セット)を測定。その間は、10分毎に気象観測(温度(乾・湿)、気圧)を行った。
※ ただし、気象の条件によって日の出前後4時間で観測がされることもある。
測量は、日を改めて2日間行われ、その日のセット内較差、セット間較差及び日間較差により測量の精度確認を行った。
参照サイト:一等三角点探訪 菱形基線測点
参照サイト:愛知の標石 菱形基線測点
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そうだったのか
2013年7月8日月曜日
電気二重層キャパシタ(EDLC)のテスト
Panasonicのゴールドキャパシタ5.5V0.1Fです。
耐電圧5.5Vですので、12V電装に余裕を持って対応すべく・・・
5個直列の耐電圧27.5V。
さらに、充電のバランスを取る為に5.6kΩの抵抗を並列に入れてみました。
で、充電器の12Vレンジで電気を入れてみたのですが・・・
電解コンデンサーで有れば、接続した瞬間に充電されるのですが、何故か電気が入りません。
10分・・・さらに10分と繰り返し・・・
やっと6.39V。
しかし、6V1.7Wの電球さえ点灯せず、LEDがかろうじて点灯する状態。
こんなはずじゃ・・・
ネットでは簡単に充電するような記事ばかりだったのに・・・
仕方が無い!もっとシンプルにと、
EDLCのみの4個直列接続に変更。
30分充電。
14.56V!充電器の電圧を越えてるような・・・?
しかし、これでもLEDが僅かに点灯するだけでした。
分からん!さっぱり分からん!
まさか電気が入らないとは・・・
思いもしなかった結末になりました。
耐電圧5.5Vですので、12V電装に余裕を持って対応すべく・・・
5個直列の耐電圧27.5V。
さらに、充電のバランスを取る為に5.6kΩの抵抗を並列に入れてみました。
で、充電器の12Vレンジで電気を入れてみたのですが・・・
電解コンデンサーで有れば、接続した瞬間に充電されるのですが、何故か電気が入りません。
10分・・・さらに10分と繰り返し・・・
やっと6.39V。
しかし、6V1.7Wの電球さえ点灯せず、LEDがかろうじて点灯する状態。
こんなはずじゃ・・・
ネットでは簡単に充電するような記事ばかりだったのに・・・
仕方が無い!もっとシンプルにと、
EDLCのみの4個直列接続に変更。
30分充電。
14.56V!充電器の電圧を越えてるような・・・?
しかし、これでもLEDが僅かに点灯するだけでした。
分からん!さっぱり分からん!
まさか電気が入らないとは・・・
思いもしなかった結末になりました。
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バイクの電気
2013年7月7日日曜日
だって、アクセルが軽いんだもん
あへ、あへ、あへ・・・
乗ってて楽しい。
どあって~ アクセルが軽いんだもん!
あうちっ!
此処まで1点で来たのに~
潜り抜けるには低く、乗り越えるには高い!
この先に大した用も無いので引き返しましょう。
ちゅうか、梅雨は明けたのか?
乗ってて楽しい。
どあって~ アクセルが軽いんだもん!
あうちっ!
此処まで1点で来たのに~
潜り抜けるには低く、乗り越えるには高い!
この先に大した用も無いので引き返しましょう。
ちゅうか、梅雨は明けたのか?
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トレッキング
2013年7月4日木曜日
続・紫香楽宮
興味深いサイトを見つけました。
続日本紀によりますと、紫香楽宮が作られた天平時代には、大地震のみならず摩訶不思議な出来事が頻発していたようです。
前回の投稿で、紫香楽宮が捨てられたのは、平城への還都を謀る一部官人による放火が原因のような書き方で終わってたのですが、放火が有ったとしても、立て続けに起こった信じられない自然災害が大きな要因だったと思われます。
天平時代の地震からちょっと抜粋してみました。
●天平3年6月 今の和歌山県あたりで海水が血の色のようになった。
●天平6年 畿内・七道諸国大地震。
●天平7年5月4日 夜、天の多くの星が入り乱れて運行し、通常の位置になかった。
●天平14年正月 陸奥国で赤い雪が降り積もった。
●天平14年6月5日 夜、京中のところどころに飯が降った。
●天平15年5月 今の岡山県でクジラの集団座礁
●天平15年6月26日 宇治川の枯渇。日照りのせいと考えられるが、2時間だけ水がなくなった。
●天平17年4月27日 内陸部で起きた巨大地震(M7.9)。それ以降の地震記録の異常な多さ。
上記巨大地震の前後それぞれ1ヶ月間に山火事の記事が突出して多い。気候が異常高温・乾燥であったためか?
以下は紫香楽宮関連部分です。
日付は旧暦ですので、太陽暦とは季節感がずれています。
天平十五年(743年)十月 紫香楽の地において大仏造立の詔を発布。
同年末に恭仁京の大極殿が完成するも、新京の建設は中止される。
16年夏4月13日 紫香楽宮の西北の山で火事。
16年5月4日(18日の誤りか) 肥後国で雷雨と地震。八代・天草・葦北の3郡の官舎と田290余町、民家470余区と、人1520余人が水中に漂ったり水没したりした。山崩れが280余ヵ所、40余人が圧死した。
16年6月21日 氷が雨のように降った。
天平十六年(744年)十一月十三日 紫香楽の甲賀寺に大仏像の体骨柱(たいこつちゅう)が建てられ、天皇自ら縄を引かれる。
16年12月2日 星が将軍(二十八宿の婁宿の北にある天大将軍)の方に光り輝いて流れた。
天平十七年(745年)の年が明けると、紫香楽宮への遷都が宣言される。
17年夏4月1日 紫香楽京の市の西の山で火災。
17年4月3日 寺(甲賀寺か)の東の山で火災。
17年4月8日 伊賀国の真木山(三重県阿山町)で火災。3、4日間燃え続けた。
17年4月11日 紫香楽の宮城の東の山で火災。幾日も鎮火しなかった。
17年4月13日 夜、小雨があり、火勢が衰え鎮火した。
17年4月27日 この日、一晩中地震があり、それが三昼夜続いた。美濃国では国衙の櫓・館・正倉・仏寺の堂や塔・人民の家屋が被害をうけ、少しでも触れると忽ち崩壊した。
17年5月1日 地震。
17年5月2日 地震。
17年5月3日 地震。
17年5月4日 地震。
17年5月5日 地震があって夜昼やまなかった。
五月五日、聖武天皇はついに紫香楽を捨てて恭仁京へ向かわれる。
17年5月6日 地震。
17年5月7日 地震。
17年5月8日 地震。4月以来雨が降らず、田植えができない。諸国の神社で雨乞い。
17年5月9日 地震。近江国の人民1千人を徴発して、甲賀宮周辺の山火事の消火に当たらせた。
17年5月10日 地震。
17年5月11日 甲賀宮は無人の地となり、山火事の火もまだ消えなかった。
十一日には奈良平城京に戻られる。民衆も競って平城を目指し、その行列は昼夜途切れることなく続いた
17年5月16日 地震。
17年5月18日 地震。
17年5月 この月の地震の多発は異常であって、度々地面に亀裂が生じ、そこから泉水が湧出した。
17年7月17日 地震。
17年7月18日 地震。
17年8月24日 地震。
17年8月29日 地震。
17年9月2日 地震。
続日本紀によりますと、紫香楽宮が作られた天平時代には、大地震のみならず摩訶不思議な出来事が頻発していたようです。
前回の投稿で、紫香楽宮が捨てられたのは、平城への還都を謀る一部官人による放火が原因のような書き方で終わってたのですが、放火が有ったとしても、立て続けに起こった信じられない自然災害が大きな要因だったと思われます。
天平時代の地震からちょっと抜粋してみました。
●天平3年6月 今の和歌山県あたりで海水が血の色のようになった。
●天平6年 畿内・七道諸国大地震。
●天平7年5月4日 夜、天の多くの星が入り乱れて運行し、通常の位置になかった。
●天平14年正月 陸奥国で赤い雪が降り積もった。
●天平14年6月5日 夜、京中のところどころに飯が降った。
●天平15年5月 今の岡山県でクジラの集団座礁
●天平15年6月26日 宇治川の枯渇。日照りのせいと考えられるが、2時間だけ水がなくなった。
●天平17年4月27日 内陸部で起きた巨大地震(M7.9)。それ以降の地震記録の異常な多さ。
上記巨大地震の前後それぞれ1ヶ月間に山火事の記事が突出して多い。気候が異常高温・乾燥であったためか?
以下は紫香楽宮関連部分です。
日付は旧暦ですので、太陽暦とは季節感がずれています。
天平十五年(743年)十月 紫香楽の地において大仏造立の詔を発布。
同年末に恭仁京の大極殿が完成するも、新京の建設は中止される。
16年夏4月13日 紫香楽宮の西北の山で火事。
16年5月4日(18日の誤りか) 肥後国で雷雨と地震。八代・天草・葦北の3郡の官舎と田290余町、民家470余区と、人1520余人が水中に漂ったり水没したりした。山崩れが280余ヵ所、40余人が圧死した。
16年6月21日 氷が雨のように降った。
天平十六年(744年)十一月十三日 紫香楽の甲賀寺に大仏像の体骨柱(たいこつちゅう)が建てられ、天皇自ら縄を引かれる。
16年12月2日 星が将軍(二十八宿の婁宿の北にある天大将軍)の方に光り輝いて流れた。
天平十七年(745年)の年が明けると、紫香楽宮への遷都が宣言される。
17年夏4月1日 紫香楽京の市の西の山で火災。
17年4月3日 寺(甲賀寺か)の東の山で火災。
17年4月8日 伊賀国の真木山(三重県阿山町)で火災。3、4日間燃え続けた。
17年4月11日 紫香楽の宮城の東の山で火災。幾日も鎮火しなかった。
17年4月13日 夜、小雨があり、火勢が衰え鎮火した。
17年4月27日 この日、一晩中地震があり、それが三昼夜続いた。美濃国では国衙の櫓・館・正倉・仏寺の堂や塔・人民の家屋が被害をうけ、少しでも触れると忽ち崩壊した。
17年5月1日 地震。
17年5月2日 地震。
17年5月3日 地震。
17年5月4日 地震。
17年5月5日 地震があって夜昼やまなかった。
五月五日、聖武天皇はついに紫香楽を捨てて恭仁京へ向かわれる。
17年5月6日 地震。
17年5月7日 地震。
17年5月8日 地震。4月以来雨が降らず、田植えができない。諸国の神社で雨乞い。
17年5月9日 地震。近江国の人民1千人を徴発して、甲賀宮周辺の山火事の消火に当たらせた。
17年5月10日 地震。
17年5月11日 甲賀宮は無人の地となり、山火事の火もまだ消えなかった。
十一日には奈良平城京に戻られる。民衆も競って平城を目指し、その行列は昼夜途切れることなく続いた
17年5月16日 地震。
17年5月18日 地震。
17年5月 この月の地震の多発は異常であって、度々地面に亀裂が生じ、そこから泉水が湧出した。
17年7月17日 地震。
17年7月18日 地震。
17年8月24日 地震。
17年8月29日 地震。
17年9月2日 地震。
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