2011年4月23日土曜日

トンネルの掘り方

1970年頃の山科疏水諸羽船溜りです。
1960年代の中頃までだったでしょうか、夏になると疏水の舟溜りが子供たちのプールになっていました。
四宮(一灯園)の舟溜りが音羽小学校で、この諸羽の舟溜りが山階小学校のプール代わりでした。
しかし、湖西線の工事により四宮~諸羽間は埋め立てられ、現在は諸羽疏水公園になっています。

残念ながら、もうこの景色を見ることは出来ません。


Y原氏撮影

知り合いのお父上が疏水の研究をされている方なので、私如きが疏水について語るのはどうかと思うのですが、トンネルの掘り方で「おーっ!」と思うことが有ったので書こうかなと・・・

両側からトンネルを掘っていったとして、どうして曲がらずに掘れるのか?真っ暗な穴の中でどうして途中で出会う事が出来るのか?
少しでもズレてたら、すれ違ったまま堀り続ける事になる筈なんですが・・・
疑問に思った事は無いですか?

と言う事で、タイトルの「トンネルの掘り方」です。(疑問を持った人だけ読みましょう)


第3トンネル西口 1885年頃 京都府立総合資料館蔵

写真の真ん中手前に旗が立ってます。この土台が測量標石で、山の中央の木が切られている所の頂上にも同じ測量標石が有って、目印の旗が立っています。
で、トンネルの両側とも、手前の旗から山の上の目印の旗まで、一直線に穴を掘っていたんですね~
これで、確実に出会える。かしこっ!

2400m以上ある第1トンネルは、当時日本最長のトンネルでした。
このトンネルが掘られるまで日本にトンネルの掘削技術はなく、このトンネルの成功によって、東海道本線の東山トンネルを始め、多くのトンネルが掘られるようになったそうです。


2008年11月13日撮影

小関峠から少し上った所に残っている、第1トンネルの測量標石です。

以上!
「おーっ! 」っと、思った事でした。


6 件のコメント:

E派東部 さんのコメント...

2011/4/23 23:46
かなりの難工事だったようですね。
旧小関峠にあるレンガ造りの第一竪坑がなぜか好きなんです。
て、言うかレンガ造りの建築物が好きなんです。もしかしてレンガフェチ?

イーハトーブ さんのコメント...

2011/4/23 23:56
投稿者の名前がゆおりんさんバージョンになってました。(^^♪

U汚淋。 さんのコメント...

2011/4/23 23:58
方向は合ったとして高さ的なズレはどうしたんですか?
片方が上がり気味で、反対が下がり気味とか・・・(笑)。

ゆおりん。 さんのコメント...

2011/4/24 0:00
あっ、合わせたのに・・・(笑)。。。

buratto28go さんのコメント...

2011/4/24 7:15
E派東部さん、残念ながら、今第一竪坑が整備されています。歴史を感じるあの姿はもう見ることが出来ません。(泣)
風格を取り戻すのは数十年後でしょうか?私は生きてないかも・・・
フェンスを張巡らしたり、ベンチを置いて公園のようにしたりする京都市のセンスは如何なものか・・・
1960年代の疏水に戻してくれー!

buratto28go さんのコメント...

2011/4/24 7:23
U汚淋さん、琵琶湖の取り入れ口から蹴上までの総延長は12㎞で、その落差はわずかに4mだそうです。これは神業ですね。

てか、水を少し流してみれば分ることでしょー!
てかてか、落差4m。ちゃんと測量してますって。