1970年頃から1980年代の初め頃まで、ほぼ毎日乗ってました。
この写真は2両編成でパンタグラフ式ですが、'70年頃は1両のみでまだポール式でした。
で、私がバイクに夢中になってる間に京津電車は地下化され、路面電車じゃなくたったんです。
しかし、三条通には京津電車が走ってるぜ・・・ 線路で滑らないようにしなければならないぜ・・・ 慣れないと「プワ~ン!」で焦るぜと・・・
何時まで経っても、この写真のままのイメージが抜けません。
画像はGoogleからお借りしてきました。
ここから西へ800メートルほど行くと東海道の起点三条大橋。
「流石に、京の都の東海道は、昔から広かったんだな~」と、ずーっと思ってたんですが・・・
先週、こんなものを発見!
1918年7月の地図です。
当時の三条通は電車を通せる程の幅は無かったようで、京津線は古川町通の角から北へ上って現在の家政学園をかすめ、蹴上の発電所横で三条通に戻っていたんですねぇ。
力いっぱい、びっくり!です。
詳しくは「京津線の旧線痕跡を発見! │ 京都ずんずん」をご覧ください。
いや~ 面白い発見です!
4 件のコメント:
2011/4/5 20:44
懐かしい電車の写真ですね。
昔は四ノ宮から寺町の電気街にパーツを買いに行くのによく乗ってました。ヒエン堂やタニヤマムセンの全盛期の頃でした。
インクラインもちゃんと地図に載っていますね
その当時はバリバリ活躍していたんですね。
2011/4/5 21:15
イーハトーブさん、無くなってる気がしないんですよ。つい数ヶ月前に走ってたような・・・
しかし、ヒエン堂やタニヤマ無線が無くなってからも、10~15年でしょうか?
時の流れは早いです。
と、1911年(明治44年)の地図には東大路通が書いてない!東大路って新しい道だったんですねぇ。知らなかった!平安京からの道だと思ってましたーっ!
2011/4/5 23:05
お聞きするのを忘れていましたが、ポール式とはトロリーバスみたいなのですか?全く覚えてないです。
2011/4/6 7:07
イーハトーブさん、そうです。決して指パッチンでは有りません。(それはポール牧やがな~・・・はいはい)
ポールは前後に付いていて、三条京阪の折り返しで前側のポールを紐で引っ張って下し、後側を上げていたような記憶が・・・
大正時代だったか昭和初期だったか、九条山辺りでポールが外れバックする事故を起こした事があるようです。
日本でも有数の急勾配で、毎日高山列車に乗っているような事だったらしい。
四宮~四条間が45円? 市電はどこまで乗っても25円!の頃のお話でした。
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