家を出て1分後には渋滞してました。
んで、裏道を通ってスタンドへ行くと・・・やっぱり、どうしても、何故か、不思議に、奇遇にも、イーハトーブさんとバッタリ!
で、ちゃっかり、二人で出かける事に。
国道は渋滞中のようなので、「おぜき峠」を通って大津へ。名神大津インター入口からは何時ものコース。スムーズに走れます。チラチラ見える名神も、スムーズ?に流れている模様。
「京都東インター辺りだけが渋滞かぁ?」と思いながら、裏通りから京滋バイパス側道へ入った途端に渋滞。
「やっちまったな~ 国道1号線にすればよかった」
しかし、何処かで瀬田川を渡らなければならない訳で・・・諦める。
が、混んでたのは瀬田東インター手前まで、後は栗東までスイスイ。
去年フキを見つけた砂防堤で小休止。フキは去年よりミニサイズになっていました。なんで?
タラの木も数本有ったのですが、葉っぱになってたり、二番芽だったりで、収穫無し。
さらに林道2本を探索してみましたが、やっぱり何も無し。
ここで昼食。
うろうろしてて時間がかかってます。
前回も来た林道です。
この林道沿いで少しタラの芽を収穫できました。
イーハトーブさんが、この場所から少し下った谷川斜面で、鹿らしき死骸(ほぼ白骨)を発見。近付くとかなりの臭いが・・・
一度信楽に出て、別の林道2本を走って舗装路に戻った途端、リヤが左右に流れ出して落ち着きません。
「おっかしいなぁ パンク?」
木片?が刺さってる!「そんな馬鹿な!」
※タイヤが交換時期を過ぎてるのは気にしないでください。
骨!有り得ない!
有り得ませんが、有り得ました。何かの動物の骨が刺さってパンクしてたんです。
エマージェンシースタンド、タイヤレバー、ポンプ、パッチなど一通り持ってたんですが・・・
ペーパーが有りませんでしたっ!
苦肉の策で、ナイフでチューブ表面をこそげているところです。
で、修理が終り空気を入れる段になって、自分の携帯用ポンプを使った事がない事に気付く。
そこでイーハトーブさん登場!
キラ~ン!「このポンプで入れてあげるわさぁ」シュコッ!シュコッ!シュコッ!
「おお~早い!携帯用ポンプで、チューブレスタイヤの耳が出せるのかぁ?」
「ほら出る」
「出る気満々だしー」
と、イーハトーブ様のお陰を持ちまして、無事に耳も出せて、気持よく何時ものコースを帰ってこれたのであります。
本日の収穫です。
右端の物が何故か黄色い。黄砂まみれ?
2011年4月27日水曜日
第三万七千六百三十二回 全日本独走の御知らせ
今年も 独走の季節と相成り候
皐月の爽やかなる風の中 時速三百㎞にてのんびり走る所存
決行の日取りは 平成二十三年五月三日(四つ時)何時もの油屋にて給油の後 近江の国某所を行脚予定
彼の地は少しばかり高所なれば 前回の行脚は逸り過ぎやも知れず タラの芽は今が旬かと思わるる ルル三錠
楽しみがいや増して御座候
ほな
皐月の爽やかなる風の中 時速三百㎞にてのんびり走る所存
決行の日取りは 平成二十三年五月三日(四つ時)何時もの油屋にて給油の後 近江の国某所を行脚予定
彼の地は少しばかり高所なれば 前回の行脚は逸り過ぎやも知れず タラの芽は今が旬かと思わるる ルル三錠
楽しみがいや増して御座候
ほな
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ツーリング
2011年4月24日日曜日
トンネルが掘れなくて
現在、京都駅から山科駅までの所要時間は5分ほど。トンネルを抜けるたら、もう山科です。
しかし、東山トンネルが出来るまではかなり遠回りだったようです。京都駅を出た列車は東山を避けて南へ、稲荷山を周り込むように東へ向きを変え、やっと山科へ。
当時の山科駅は外環状線と名神の交差した辺りに在り、その頃の山科の中心地(旧三条通りの安祥寺通りから四宮辺りか?)から歩くと30分はかかりそう。
さらに山科駅から京都駅までの乗車時間を30分と見積もると、山科中心部から京都駅までは1時間ほどかかったかも知れません。
明治45年測図 2万分の1地形図 部分 大津街道│神谷ホームページさんでお借りしてきました。
1879年8月18日に京都~大谷間で仮開業したこの路線は、1921年8月1日の新線(現在の東海道本線)開業まで使われ、残された路線の京都~深草間は奈良線に転用。深草から名神高速大津インター入口辺り(大津駅、膳所間)までの路線は完全に廃線となり、後に名神高速道路(一部一般道)になりました。
Yahoo!の航空写真です。
航空写真だと路線跡が良くわかります。凄い時代ですね。
<25日追記>
1932年(昭和7年)京都東南部:国際日本文化研究センター所蔵地図
昭和7年版ですので、旧東海道線は既に廃線になっているのですが、廃線跡がハッキリ載っています。数回クリックして拡大してご覧ください。
しかし、東山トンネルが出来るまではかなり遠回りだったようです。京都駅を出た列車は東山を避けて南へ、稲荷山を周り込むように東へ向きを変え、やっと山科へ。
当時の山科駅は外環状線と名神の交差した辺りに在り、その頃の山科の中心地(旧三条通りの安祥寺通りから四宮辺りか?)から歩くと30分はかかりそう。
さらに山科駅から京都駅までの乗車時間を30分と見積もると、山科中心部から京都駅までは1時間ほどかかったかも知れません。
明治45年測図 2万分の1地形図 部分 大津街道│神谷ホームページさんでお借りしてきました。
1879年8月18日に京都~大谷間で仮開業したこの路線は、1921年8月1日の新線(現在の東海道本線)開業まで使われ、残された路線の京都~深草間は奈良線に転用。深草から名神高速大津インター入口辺り(大津駅、膳所間)までの路線は完全に廃線となり、後に名神高速道路(一部一般道)になりました。
Yahoo!の航空写真です。
航空写真だと路線跡が良くわかります。凄い時代ですね。
<25日追記>
1932年(昭和7年)京都東南部:国際日本文化研究センター所蔵地図
昭和7年版ですので、旧東海道線は既に廃線になっているのですが、廃線跡がハッキリ載っています。数回クリックして拡大してご覧ください。
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