このブログにもホームページにも登場しませんが、私が一番長く乗ったバイクはTLM220だったのです。
で、自分のページで書かない代わりに、人様のブログに押しかけ好き勝手に書き込んでいたのですが、自分のブログネタが無くなったので、古い写真を引っ張り出してみました。
'89年の小野です。右側の白い壁はゴミ処分場への道路です。この頃は工事中で入れたんですが、今では一切入れません。当然この風景も有りません。
いろんな所に出かけたのも、TLM220が一番多かった。
これは'91年の暮れです。福井県の小浜までカニを食べに行った帰りです。名田庄村の八ヶ峰に上ってるところです。って、上れませんでしたけど・・・
前夜からの雨?ミゾレ?でツルツルでした。この尾根まで来るのにくたびれて満足してます。
記念に3速でトライしてみたんですが、はなっから上る気は有りませんでした。
ほらね、ツルツルで下りるのが大変なんです。適当にしとかないと京都まで帰れませんからーっ!
手前のバイクは、一緒に行ったO氏のTLRです。
いやー、面白かった!
と、翌年の夏、逆回りで楽しみました。名田庄村で一泊しての帰り道、根来坂の小浜側です。
根来坂の入口は画面を外れた右側に有ります。
今は、私の寝ている林道が滋賀県の朽木まで繋がってしまったようです。
根来坂の道が分からなくなってるかも知れませんねぇ。風情のある良い道でした。
2008年12月20日土曜日
2008年12月14日日曜日
牛尾山 桜の馬場
ヤマドリさんのコメントで、12日の時点で桜の馬場にモンキーが捨ててあるようだ、と言う事で見に行ってきました。
桜の馬場までの道は、上流部分に京都市のゴミ最終処分場が出来るまでは未舗装路で、そんなに車は上ってきませんでした。
舗装されて気軽に上れるようになると、渓谷美の中でバーベキューを楽しむ人が増え、結果ゴミも増えました。一時山積みになってた事があります。
山科区には'70年頃から?マナーの良い人たちが沢山入ってこられました。その方たちでは無いと思いますが、沢の中に、使った後の鉄板や紙おむつが投げ捨ててある光景を目にするようにもなりました。
麓の小山地区では'60年代まで飲み水として使ってた沢なんですが・・・
で、モンキーですが、誰かが持って帰ったのか見当たりませんでした。
しかし、折角来たのでと、捨ててあったゴミを撮影。
トイレ横です。リヤショックとヘッドライトユニットが見えます。
ゴミを撮影をしてると、軽トラの2人組みが私に纏わりつくように見ています。荷台にはゴミ?らしき物が・・・
どうもマナーの良い人種の気がして早々に退散してきたんですが、隠れてこっそり撮影してきた方が面白かったかも・・・
ちょっと後悔。
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2008年12月5日金曜日
旧東海道本線追分辺り
京都~大津間の名神高速道路が、旧東海道本線の跡地に造られたと言うのは結構知られていると思います。
しかし、全てのルートが名神高速道路になった訳ではなくて、一般道として使われている部分も有ります。
深草~大岩山辺りまでの大岩街道。名神と奈良街道の交差部分~小山のひょうたん池までの道。逢坂山トンネル東口~名神大津インター入口までの国道1号線部分。
で、本題。なぜこの道が有るのか?40年近く前から気になってる道が有ります。
京都東インターの北側を通り、追分のポリボックスのところで旧東海道と国道1号線に合流する道です。
初めてこの道を歩いた時に、なんか変な印象を受けました。街道でもなく。農道でもなく。山道でもなく。住宅街でもなく。(現在は住宅が並んでます)何故この道が必要だったのか・・・
と言う事で、これは旧東海道本線の跡地なんじゃないでしょうか?
南から上がってきた名神が、曲がらずに直進したとしたらこの道に接続されそうです。接続されてから右へ曲り、旧東海道との合流地点辺りで再度名神と合流するのです。
ね、いい感じのカーブに見えるでしょ?
<12月6日追記>
今朝、地図に追分町と書いて有る、文字の5~10m上へ行ってきました。
そこから南側を見た景色です。
名神が尾根を横切って造られているのが良く解りますねぇ。で、真ん中に小さく残る、取り残された尾根の右端が人工的なアールに見え、何の問題も無く現在の名神と接続できそうです。
今の名神の部分は当然山で、このアールの部分に有った旧東海道本線を、蒸気機関車がえっちらおっちら走っていたんだと思うんですが・・・
しかし、全てのルートが名神高速道路になった訳ではなくて、一般道として使われている部分も有ります。
深草~大岩山辺りまでの大岩街道。名神と奈良街道の交差部分~小山のひょうたん池までの道。逢坂山トンネル東口~名神大津インター入口までの国道1号線部分。
で、本題。なぜこの道が有るのか?40年近く前から気になってる道が有ります。
京都東インターの北側を通り、追分のポリボックスのところで旧東海道と国道1号線に合流する道です。
初めてこの道を歩いた時に、なんか変な印象を受けました。街道でもなく。農道でもなく。山道でもなく。住宅街でもなく。(現在は住宅が並んでます)何故この道が必要だったのか・・・
と言う事で、これは旧東海道本線の跡地なんじゃないでしょうか?
南から上がってきた名神が、曲がらずに直進したとしたらこの道に接続されそうです。接続されてから右へ曲り、旧東海道との合流地点辺りで再度名神と合流するのです。
ね、いい感じのカーブに見えるでしょ?
<12月6日追記>
今朝、地図に追分町と書いて有る、文字の5~10m上へ行ってきました。
そこから南側を見た景色です。
名神が尾根を横切って造られているのが良く解りますねぇ。で、真ん中に小さく残る、取り残された尾根の右端が人工的なアールに見え、何の問題も無く現在の名神と接続できそうです。
今の名神の部分は当然山で、このアールの部分に有った旧東海道本線を、蒸気機関車がえっちらおっちら走っていたんだと思うんですが・・・
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