今夏話題になっていた映画「西の魔女が死んだ」の原作者、梨木香歩さんの作品です。
何故に?と思われるでしょうが、舞台が明治中期の山科と言う事で興味を持った訳です。
主人公は、新米物書きの綿貫征四郎。学生時代の親友高堂はボート部に所属しており、山一つ越えた湖でボートを漕いでいる最中に行方不明になった。
その高堂の実家が、湖と疏水で繋がっている山科の安朱辺りに有り、縁有って征四郎が家守をすることになる。
風雨の強い夜、布団を頭からかぶり寝ていると、床の間の掛け軸から突然高堂が出てくる。
──どうした高堂。
私は思わず声をかけた。
──逝ってしまったのではなかったのか。
──なに、雨に紛れて漕いできたのだ。
おいおい、もっと驚けよ!って話ですが、物語は淡々と進みます。そう!ファンタジーです。
四季折々の植物とそれにからむ河童に小鬼、人魚や天女。そんな馬鹿なと、本を閉じても良いんですが、訳が分からない儘なかなかに面白く最後まで読んでしまいました。
ダァリヤの章で、ゴローの帰還を祝い肉を買いに行った征四郎を、犬のゴローが尻尾を振りながら待っていた高架下です。
この道を真っ直ぐに上った所に、庭つき池つき電燈つき二階家が・・・
二階家を過ぎ、この橋を渡ると和尚の居る山寺へ・・・
毘沙門、小関峠、牛尾山。舞台は確かに山科なんですが、すべてはファンタジー。
征四郎が郵便を出しに行く駅は、蹴上に発電所が出来た頃にはこの地には無く、当然ゴローが待ってた高架も無かったのです。
と、その様な左脳的な考えは邪魔なのだと分かっているのですが、ついつい私はその様な事に気を取られてしまいます。
作者がこの不可思議な話で何を語りたいのか、私には理解する能力が有りません。ただただ、作者の発想とそれを表現する教養に、ここ数日ぼーっと感心するばかりです。