2020年7月5日日曜日

エア抜きをして置こうと取り付けてみたら・・・

青空が広がり出した本日午後、勇敢なわたくしは、油圧クラッチのエア抜きをして置こうと立ち上がったのであります。
ささっと取り付けレバーをキコキコしたのですが、どうにもエアが出ません。
やっぱりレバーストロークが足りないのか・・・


と、レバーを外してドライバーで押します。
ブクブク~ ゴボゴボ~ 今度は、エアは出るものの何時まで経っても手ごたえが出ません。
かしいな~ と、例のスレーブシリンダーを見ると・・・


てっ!漏れてる!
やっぱりアカンかったか。

仕方が無いので、中華製のスレーブシリンダーに戻してエア抜き。
ほぼ良かろうと言う所までエアを抜き、後はレバーを付けて抜く事にします。
レバーを付けて、集中スイッチを付けてと・・・


てっ!
アカンがな!!
レバーのアジャストボルトと集中スイッチが当たってしまいました。
またも集中スイッチ・・・
どうしても、何をしても、ホンダの集中スイッチが付けられんか。
センタープッシュのレバーを発注した所なのに、またもやデッドストック。
泣くぞー


2020年7月4日土曜日

知らなんだ! MAZDAがオートバイを作っていたとは・・・

いや~知りませんでした。
マツダは最初っから4輪を作ってたメーカーだと思ってました。
マツダのルーツは、1920年(大正9年)創業の「東洋コルク工業」なんだそうですが、その東洋コルク工業の二代目社長に就任した松田重次郎氏は、中々に先見の明がある方だったようです。
1923年(大正12年)の関東大震災により業績が悪化した1927年(昭和2年)に、「東洋コルク工業」から「東洋工業」に社名を変更、かねてからの目標であった機械製造へ大きく舵を切ったのでした。
社名変更した翌年には参考の為にイギリス製バイクを2台輸入。
当然エンジン等の製作は初めてだったものの、2年後の1929年(昭和4年)には排気量250ccの2ストロークエンジンを製作し、翌1930年(昭和5年)には6台の試作車を完成させ市販化までこぎつけたのでした。
ちなみに、完成したバイクは招魂祭と言うレースで外国製バイクを抑え、初出場にして初優勝という快挙を成し遂げたそうです。


これがそのバイク。
とても昭和5年に作られたものとは思えない完成度です。

で次に作ったのが、大ヒットした「マツダDA型」


1931年10月から生産を開始し、1932年450台、1933年700台、1934年900台、1935年には1100台と、順調に販売台数伸ばして行ったそうです。

いや~ MAZDAがバイクを作ってたなんて全く知りませんでした。
やるな~ MAZDA。

にしても、日本の自動車メーカーは何処も凄い!誇らしい!


2020年7月3日金曜日

ストロークが足りない

ほぼ出来た中華製マスターシリンダーとAJPレバーの合体。
ぐあ、レバーのオフセットプッシュ用のネジ穴が当たるんですよね~


これではストロークが足りないんじゃないのか?
クラッチが切れないんじゃないのか?
切っても切っても進むんじゃないのか?
と、どれくらい引けるのか確認してみました。


これが・・・


これです。
う~ん、微妙な位置です。
切れるっちゃ~切れるようですが、引きずるっちゃ~引きずりそうです。
で、オフセットプッシュ用の出っ張りを切り取ったら解決するんですが、切る段になって躊躇しました。
どあって~ 手持ちのマスターシリンダーがオフセットプッシュタイプなんですよね~
次回の為にマスターシリンダーとセットで残して置いた方が良いんじゃないのか?


と言う事で、今回用にはセンタープッシュのレバーを買う事にしました。
来週も雨続きですので、いくらでも待てますからね~( ^ω^)マチマスマチマス