四半世紀ほど前の事であやふやな記憶です。
TLM50でトライアルを始めてから半年あまり経った頃だと思います。当時読んでいたRIDING SPORTの情報コーナーに、トライアル専門誌が出来るとの記事が載ってました。
発行はなんと京都書院。「え、何で!」と思ったのが最初の印象です。京都書院と言えば美術書が専門の本屋さん。汗臭いトライアルとは全く結びつきませんでした。
「ま、モノクロのミニコミ誌だろう」と思いながらも、トライアル専門誌と言う事で楽しみに待ってました。
1~2ヶ月経った頃でしょうか、同じ頃にトライアルを始めたAくんが「出てた!」とTRIAL JOUNALを持って現れました。
「おーっ!」
びっくりしました!
ローカルなミニコミ誌では無く、カラー写真を使った全国版のトライアル専門誌でした。
それまでの雑誌は、トライアルの記事と言えば僅か2~3ページしかなく、当然ほんの僅かな情報しかありませんでした。
それがいきなり山本昌也選手の世界選手権スポット参戦レポートです。さらに全日本もイーハトーブも載ってます。
マイナーなトライアルにこんな立派な雑誌が出来たのか、それも京都から発信するとは凄い人が居るものだと、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
企画/発行したのは、当時京都書院の社員?宮田光幸氏。
聞くところによると、腰のリハビリの為にトライアルを始められたようです。
私が初めてお見かけしたのは、雑誌を発行されてから半年くらい経った頃の草トライアルでした。すでにノービスクラス(現国内B級)での上位入賞が当たり前の実力で、ビギナークラスに初めて出場した私は、少し離れた所から羨望の眼差しで見ていたものです。当然、恐れ多くて声など掛けられませんでした。
後年、知り合いのバイク屋さんで飲む事が有ったんですが、やはりトライアルの先輩であり専門雑誌の編集長、どうしても緊張しました。
早いもので、TRIAL JOURNAL創刊から24年。雑誌名がストレートオンに変わってからも11年経ちました。
始まりが有れば終わりが有るもの、今回、ストレートオンの編集長と発行人を退かれると知り、寂しくもあり残念でもあります。が、これで終わりにされる方では無いと思います。
5年後になるのか10年後になるのかは分かりませんが、何らかのかたちで復帰されるはず・・・
ひと先ずここは、TRIAL JOURNALの創刊と24年間の雑誌発行、有難うございました。とだけ、申しておきたいと思います。
出版不況と言われる昨今、バトンを受け取ったでぃ~さんは大変だと思いますが、某バイク屋でグリップゴムを付けながら(それもペイントスプレーで)「TRIAL JOURNALに応募しょうかなと思ってます」と言った時から、バトンを受け取る事が決まってたように思います。
でぃ~さん。引き受けてくれて有難う。これからもヨロピク。ぐぁんばってね。
さぁ、みんなでストレートオンを力いっぱい読みまくろう!
お申し込みはこちらまで。
2008年10月3日金曜日
2008年9月24日水曜日
家守綺譚(いえもりきたん)
今夏話題になっていた映画「西の魔女が死んだ」の原作者、梨木香歩さんの作品です。
何故に?と思われるでしょうが、舞台が明治中期の山科と言う事で興味を持った訳です。
主人公は、新米物書きの綿貫征四郎。学生時代の親友高堂はボート部に所属しており、山一つ越えた湖でボートを漕いでいる最中に行方不明になった。
その高堂の実家が、湖と疏水で繋がっている山科の安朱辺りに有り、縁有って征四郎が家守をすることになる。
風雨の強い夜、布団を頭からかぶり寝ていると、床の間の掛け軸から突然高堂が出てくる。
──どうした高堂。
私は思わず声をかけた。
──逝ってしまったのではなかったのか。
──なに、雨に紛れて漕いできたのだ。
おいおい、もっと驚けよ!って話ですが、物語は淡々と進みます。そう!ファンタジーです。
四季折々の植物とそれにからむ河童に小鬼、人魚や天女。そんな馬鹿なと、本を閉じても良いんですが、訳が分からない儘なかなかに面白く最後まで読んでしまいました。
ダァリヤの章で、ゴローの帰還を祝い肉を買いに行った征四郎を、犬のゴローが尻尾を振りながら待っていた高架下です。
この道を真っ直ぐに上った所に、庭つき池つき電燈つき二階家が・・・
二階家を過ぎ、この橋を渡ると和尚の居る山寺へ・・・
毘沙門、小関峠、牛尾山。舞台は確かに山科なんですが、すべてはファンタジー。
征四郎が郵便を出しに行く駅は、蹴上に発電所が出来た頃にはこの地には無く、当然ゴローが待ってた高架も無かったのです。
と、その様な左脳的な考えは邪魔なのだと分かっているのですが、ついつい私はその様な事に気を取られてしまいます。
作者がこの不可思議な話で何を語りたいのか、私には理解する能力が有りません。ただただ、作者の発想とそれを表現する教養に、ここ数日ぼーっと感心するばかりです。
何故に?と思われるでしょうが、舞台が明治中期の山科と言う事で興味を持った訳です。
主人公は、新米物書きの綿貫征四郎。学生時代の親友高堂はボート部に所属しており、山一つ越えた湖でボートを漕いでいる最中に行方不明になった。
その高堂の実家が、湖と疏水で繋がっている山科の安朱辺りに有り、縁有って征四郎が家守をすることになる。
風雨の強い夜、布団を頭からかぶり寝ていると、床の間の掛け軸から突然高堂が出てくる。
──どうした高堂。
私は思わず声をかけた。
──逝ってしまったのではなかったのか。
──なに、雨に紛れて漕いできたのだ。
おいおい、もっと驚けよ!って話ですが、物語は淡々と進みます。そう!ファンタジーです。
四季折々の植物とそれにからむ河童に小鬼、人魚や天女。そんな馬鹿なと、本を閉じても良いんですが、訳が分からない儘なかなかに面白く最後まで読んでしまいました。
ダァリヤの章で、ゴローの帰還を祝い肉を買いに行った征四郎を、犬のゴローが尻尾を振りながら待っていた高架下です。
この道を真っ直ぐに上った所に、庭つき池つき電燈つき二階家が・・・
二階家を過ぎ、この橋を渡ると和尚の居る山寺へ・・・
毘沙門、小関峠、牛尾山。舞台は確かに山科なんですが、すべてはファンタジー。
征四郎が郵便を出しに行く駅は、蹴上に発電所が出来た頃にはこの地には無く、当然ゴローが待ってた高架も無かったのです。
と、その様な左脳的な考えは邪魔なのだと分かっているのですが、ついつい私はその様な事に気を取られてしまいます。
作者がこの不可思議な話で何を語りたいのか、私には理解する能力が有りません。ただただ、作者の発想とそれを表現する教養に、ここ数日ぼーっと感心するばかりです。
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