2012年2月23日木曜日

訂正。(ディエゴ・ボジス選手の来日目的)

誰も覚えていないだろうから「まいっか」とも思ったのですが・・・

2月15日の「訃報 ディエゴ・ボジス」で、ボジスに関する記憶が間違ってたので訂正いたします。
ボジスはボスコ・モト、タレスはレイズの招きで来日したと書きましたが、「1986 INTERNATIONAL SUPER STADIUM TRIAL」のために来日していたのでした。
'86年の9月27日、28日の両日、東京代々木の屋内競技場で開催され、ミショー、ルジャーン、サンダース、タレス、そして初来日のボジスとシュライバーと言う超豪華メンバーで開催されています。
で、その前日に、ミショー、タレス、ボジスが宮ヶ瀬で遊んで?いたんですねぇ。そのビデオを貰ったのでした。


TRIAL JOURNAL 1986年12月号より

ノーヘルで乗ってるのがタレスです。髪がフサフサです。
赤いヘルメットの選手が19歳のボジスです。


2012年2月15日水曜日

訃報 ディエゴ・ボジス

'80年代半ばから'90年代にかけて活躍した、ディエゴ・ボジス選手が亡くなられました。
2月14日朝、仕事に向かう途中の突然の心臓発作だったそうです。
享年44歳。


TRIAL JOURNAL 1968年 6月号より

ボジス選手と言えば、アプリリアのメインライダーのイメージが強いかも知れませんが、私は真っ赤なモンテッサを思い出します。
世界選手権北アイルランド大会だったか?泥水の小川を走るセクションでした。他のバイクは問題なく通過して行くのに、何故か真っ赤なモンテッサだけがプスプスプスとエンジンストップ。
ナレーションによるとポイントが水に浸かったらしいとの事。
「えっ!今時ポイント点火って!あーた。気の毒に・・・」と驚き呆れて印象に残っているのです。
で、アプリリアと契約した時だろうと思います。(記憶が曖昧です)
アプリリアの輸入代理店ボスコモトの招き?で日本に来たのですが、同じく当時のベータ輸入代理店レイズの招き?で日本に来ていたタレスと、宮ヶ瀬?で練習&遊びで乗ってるビデオ(非売品か発売前のビデオでした)を貰いました。
この時もアプリリアでは無く真っ赤なモンテッサだったような・・・
当時タレスが意識していた選手は、スティーブ・サンダースでもテリー・ミショーでもなく、ディエゴ・ボジスだったそうで、当時の最先端テクニックを駆使した二人のライディングは、「えっ!」「あっ!」「凄っ!」「なんでっ?」の連続で、食い入るように見たものです。
最高ランキングはタレスに次ぐ2位でしたが、常にクリーン狙いのライディングは見るものをワクワクさせ、スピーディにリズミカルにセクションを駆け抜ける走破力は、世界一だったと思います。
黒山一郎さんが、TRIAL JOURNAL 1986年11月号でこんな事を書かれています。
ボジスは、あらくた坊主
タレスかボジスかと言われているが、現時点では完全にタレスに水をあけられていると言わざるをえないディエゴ・ボジスである。
素質と才能、テクニックやハングリー精神はタレスと遜色はない。むしろ、BTRの経験が全然ないのにもかかわらず、あれだけの“踊るライディング”が出来るのは、タレスよりも素質と才能があるのかもしれない。
ボジスがタレスよりも大会において成績が劣る理由は、はっきりしている。それは、タレスは大会で勝ちにいっているのに比べ、ボジスはクリーンのみを狙っている。タレスがセクションで自ら足を出して手堅い1点でまとめる走りを何度も見たが、ボジスは一度も見た事がない。逆に、皆が1回足着きの1点でまとめるセクションを強引にクリーン狙いのライディングをやり、あげくに5点になるシーンを何度も見た。(中略)
こんな不届き奔放、何をしでかすか分からないライディングをして、現在世界ランキング5位。
ボジス君、あらくた坊主の走りを卒業したら君は世界チャンピオンです。

早すぎた死を、謹んでお悔やみ申し上げます。

<2月23日:追記>
記憶違いがありましたので、訂正しました。


2011年11月20日日曜日

トレッキング:ホワイトツアー

午前9時仁和寺前集合。
この辺りは不案内ですが、天性の野生の勘で何とか到着。一番乗りでした。


近くのコンビニ(京都の観光地らしく、落ち着いた佇まいの店舗でした)で弁当を購入後、隣りのスタンドでガソリンを入れて出発!
程なく練習場に到着。
近くの方の日常練習場所のようで、ターンやグリップ(雨上がりで滑りました)の練習に良さそうです。
ここで、少しモンテッサに試乗させて貰ったのですが、久しぶりの2st.バイクで他人様のバイク。前後ブレーキの位置等が気になって思うように乗れず、必死で走らせているだけでした。
試乗は難しいです。ただ、慣れると行く気になるし行けるバイクだとは分かります。
TLRは行く気が有るのか無いのか分からないバイクですからね~(私の場合です)

で、セクションを作って少し遊んだ後、別の場所へ移動。
鷹峰の観光地のど真ん中で、イーハトーブさんのTLR80のチェーンが外れる。原因を確認せずそのままチェーンを掛けて出発。
んが、新たな林道に入って間も無くチェーン断裂!
イーハトーブさんは修理作業。私は牽引するつもりでロープ探し。何とかロープを確保したのですが、イーハトーブさんが自力で修理完了。
走れるようになったので、ホワイトさんの知り合いのバイク屋さんまで走り、本格修理をして再出発。
別の練習場に寄り道をした後、山上り。フロント13Tリア43Tのツーリング仕様ではちょっと苦しい。
何とか上りきり頂上到達。(初めての道だと思ってたんですが、帰ってから地図を見た所20年?ほど前に上ってました)

頂上から少し下ると・・・


おおお~ 知らなかった!
20年前?は頂上で引き返したようで、ここへ来たのは初めてです。
ここで昼食。
ここまでは幸せだったのですが・・・

有ろう事か・・・悲惨な事が・・・この後・・・待ち受けていようとは・・・

引き返す下り道でっ!私は大転倒しましたーーーーーっ!
それもっ!道から斜面に転げ落ち、かろうじて木に引っ掛って止まったのですっ!

死ぬかと思いました。(嘘です)

当然一人ではバイクを上げられない状態で、ホワイトさんイーハトーブさんの助けが無ければバイクを捨てて帰るところでした。
ご協力に感謝します。有り難うございました。これからのお二人の人生には、きっと神が微笑む事でしょう。微笑むだけですが・・・(微笑むだけかよっ!)

どエライ目に合いながら、京見峠から沢池へ。嫌な下りが二箇所有りましたが何とか無事に到着。


此処は時代劇の撮影に使われたりします。

ここでもセクションを作ったのですが、一個目は3点で抜けるのも難しく直に撤去。もっとやさしく!と思って作った二個目のセクションも3点で抜けるのがやっと。カードを置きなおして何とかクリーン1個でした。

トライアルを止めて20年?TLM80にも乗らなくなって7年?元々バカなのか、練習もしてないのに当時のままの感覚でセクションを作っているようです。

大転倒でも疲れているのに、さらに難セクションでクッタクタ、終盤は指が攣って木に激突しました。クラッチを切りたくても・・・もう、切れなかったんです・・・

景色も良くて楽しかったんですが、久しぶりのトライアルツーリング&練習で疲れた一日でした。帰り道でのクラッチワークも辛く感じたくらいです。

だもんで、握力を鍛えるのか?ホワイトさんと遊ばないようにするのか? 考えちゃうな~