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2024年1月2日火曜日

炭焼き窯

すっかり忘れてました。
またもや壺笠山城周辺の話です。




この地図は1975-1979年頃の地図なんですが、下手くそな字で階段と書いて有る右の道は書いて有りません。
偶然、住宅の横に道を見つけた私は、なんやこの道はと入って行くのでした。




と、炭焼き窯が有り、絶賛!炭焼き中だったので此処で引き返した訳です。
でそのままこの道の事はすっかり忘れていたのですが、山鳥さんのブログにこの道が載っていました。




てっ!
行ったはる!白鳥越えまで行ったはる!さすが山鳥さんやな~
あの道は白鳥越えまで繋がってたんか~
炭焼きを休んだはる頃合いを見計らってもう一度行けば良かったぁと、後悔した次第です。




で、そうやったんか~と過去の地図を調べて見た所、1967-1970年の地図までは炭焼き窯が有った所までは道が有りました。

なんちゅうこっちゃ、オレが持ってる1975-1979年の地図だけ載ってなかったんかい!(泣)


2023年12月24日日曜日

壺笠山城への道

皆さんご存知のように(知らん知らん)わたくしが初めて乗ったバイクは中古のTY50でした。
それがもう、楽しくて楽しくて、面白くて面白くて、どうやらこれは山を走る専用バイクのようだ。(違う違う ただのタウンバイクや)
と、直ぐに国土地理の地図を買って山道(違う違う ただの未舗装路や)を探しまくり、昨日はアッチ今日はコッチと走り回る訳です。





四ツ谷川沿いもよく走りました。(現在は墓場から先は入れませんが当時は自由に走れたんです)
しかし、如何に国土地理院地図とは言え間違ってる事も有るのです。





穴太から壺笠山城への道は実線(幅員1.5~2.5mの道路)になってますので、どう見たって走れる。





地図の赤丸の所。

地図通りだと此処から壺笠山城まで一直線なのですが、どうも違う。何か違う。地図では北西に行く筈が南へ向かっているような・・・
で結局、ここから壺笠山城へは行けませんでした。
壺笠山城へ行ったのはTLM200に乗り出した'86年以降の事だろうと思います。それも四ツ谷川沿いの林道からでした。
林道からの上りは、当時は切通し?法面?が今より緩やかで(1990年代後半に少し削られたようで、切通し?が深く、法面?が急になったようです。)簡単に城跡まで行けました。
この城跡への道が大津の穴太と京都の一乗寺を結ぶ古道白鳥越(青山越)で、城跡から京都側に少し走ると女人結界の石碑があり、さらに進むと右側が削られた壁になりハンドルの端が当たりそうなってました。ハンドルが当たると絶対左にバランスを崩し転落しそうです。もう少しで比叡山ドライブウエイに出られそうなんですが、落ちたら死ぬ?ので此処で撤退。
と言う事で、今まで国土地理院地図の実線の道は無い!と諦めていたんですが、先日q10trialさんのブログで・・・

白鳥越(ハクチョウゴエ)~壺笠山(ツボカサヤマ)を目指す事に成った。
道はそれほど難所もなく楽しく走れた、ヤブも思っていたよりも煩くない。
最後に少し難所らしき処があったが、まぁこれくらい無かったら...
と言うレベルだった。
壺笠山は古城、山城跡だと言う。
なるほど道理でそこらじゅうに石が沢山転がっているなぁ~と思っていた。
壺笠山(ツボカサヤマ)
比叡山の東麓、坂本(大津市)辺りからこの山を望むと、
壺を置いたような山容がひときわ目につく。
主稜線から湖岸へ下る尾根の末端だけに見通しもよく、
山城を設けるには最適の地であったようだ。
しかも、白鳥越の古道が通る重要な位置だけに、
青山と共に歴史にも数多く登場する。
古くは1336(建武3)年、比叡山に立て篭もる後醍醐天皇と、
比叡山を取り巻いた足利尊氏が、
戦の際に白鳥越に軍を進めたことが記録に残っている。
このときは四ツ谷川を挟んで対戦し、平子谷が数百人の死者で埋まったという。
また、1570(元亀元)年に延暦寺の支援を受けた浅井・朝倉連合軍は,
湖西路を南下し、
「はちヶ峰・青山・壺笠山に陣取」り、織田信長方(宇佐山城)と対峙した。
さらに逢坂山を越えて醍醐や山科を放火したと言う。
このとき摂津の三好三人衆と戦っていた信長本人は、
急きょ京都に戻り、白鳥越で布陣した。
北白川城でも連合軍に対処したといわれている。
白鳥越(ハクチョウゴエ)
白鳥越は別名青山越とも呼ばれ、大津市穴太から比叡山無動寺の南を通り、
青山・壷笠山・白鳥山を経て、
京都市の修学院一乗寺に至る、近江と京都を結ぶ古道で、
室町時代まで盛んに往来があったと言う。


なんですとー!
やっぱり壺笠山城への道は有るのか!?

と、地図を調べなおしたところ、入り口だと言い張ってた赤い点の所の写真の右端に少し写ってる砂防堤の右側に道が有ったようだ。
こうなったら確かめに行きたいが、バイクは止めた状態だし歩くのは自信がない。
今となってはネットと地図を頼りに調べるしかないな~
と思う、軟弱な今日この頃です。(*´σー`)エヘヘ


2023年11月5日日曜日

TENACI-WONG(テナシ・ウォン)TWJ200L TWJ150A

エトスデザインから新しく輸入販売される車両 TENACI-WONG(テナシ・ウォン)が入荷してるようです。

テナシーウォンTWJは、頑丈なエンジンと軽量で剛性が高いクロモリフレーム、扱いやすく十分なパワー、セルスタータ―とEFI装備でトライアルから林道アタックまで楽しめるマシンです。   

TWJ150A レーサー仕様 ¥548,800 税込
       電装&シート付仕様 ¥602,800 税込

TWJ200L ¥767,800 税込

どやさ!


2023年3月27日月曜日

TLM80Ⅰ ある年の春

あれです。
1998年?~2000年?頃の春です。




おおー 此処は・・・




ややや 此処此処・・・




そうそう お馴染みの此処ね。




そうなんです。知る人ぞ知る此処です。





ですよね~
 



ですです。


2023年3月5日日曜日

石山街道なのか?

そ。
みんな大好き府道782号線。




今までに何百回走ったか知れません。





で、昔っからこの橋が気になってるんですよね。
この道が舗装されたのは、京都国際カントリークラブ(現在はソーラー発電所)が開設された1976年頃の事。
この橋は、それ以前の石山街道と呼ばれた頃の痕跡じゃないのか?
と、当時少し入って見たのですが道が判然とせずその時は断念しました。
あれから30年あまり、今ではネットで昔の地図が見られる時代。
あ それそれ。




昭和7年発行 1927年~1935年 地理院地図

ふむふむ。




こう言うことね。

Ⓐが橋の所。の筈。
まだ道が残ってるんやろか~
確かめに行きたいな~
でもそんな元気無いな~

とまぁ、こう書いて置けば誰か見に行ってくれるかも?
ね、q・・さん。(笑)


2021年9月2日木曜日

見晴台

ブラツクさんは言った:立木観音のうらのサルナシとりにいきませんか?

オレは言った:ブラツクさん、私が思ってるH電所の1本はこの道(引き返した道)ですけど、これでいいんですか? もう1本は袴〇山を越えて立木観音の裏道です。

も@京都さんは言った:H電所側から走って、袴○山越えて、もう一回登って見晴台越えて、ゲキ坂を下ったりしたあとの観音さん側は林道っぽかった気がするのですが。観音さん側の道が違うのですかね。

何ですって~ 見晴台ですって~ 知らんぞ~ あの山で見晴らしたことなど一度もないぞ~
と、Google地図で調べてみた。





在った。





見晴台なのにあまり見晴らしが良くないようだ。
此処からゲキ坂下った観音さん側は林道っぽかったと言う事だが、確かに林道が有るようだ。

がしかし、オレが知ってる立木観音の裏道を調べてみたら・・・





現在の800段の階段を登るルートではなく、南郷からの本来の参道だった。




この奥の沢の中で(左側は沢です)石をひっくり返してる?石を動かしてる?石を何とかしようとしている?人に文句を言われたのだが、なぜ怒ってるのか分からぬまま引き返した事がある。
今日分かりました。
バイクや車での走行が禁止されてる参道だったんですね~
20数年ぶりに理由が分かりました。(笑)


2021年8月16日月曜日

2021年に見る2012年の道の記録

2018年の台風21号で通行不能になった道が3年経って通れるようになった。
がしかし、3歳老けた今となっては走るのが怖い。
ただの道なのにね~





台風で荒れる前、2012年12月の様子です。
丁度上の写真の辺りから動画が始まります。



何という道ではないのですが、気を入れて走る所と言えば1分32秒~1分46秒辺りと、3分32秒から3分55秒辺りでしょうか。
とは言え、舗装路でコケる今となっては至る所が怖いです。
また走ってみたいけど怖くて走る気にならない。
みたいな~
動画を撮っといてよかった~
みたいな~
発泡酒を飲みながら動画でいいよね~
みたいな~
も@京都さん、今度かるく走りましょ~
とは言えない
みたいな~

そんなことです。( ^ω^)カ?


2021年8月15日日曜日

あれから3年

2018年 台風21号 9月24日上陸




2018年9月6日撮影




2020年12月6日撮影




2021年8月8日撮影


2021年3月14日日曜日

旧山中越と崇福寺跡辺り

ダウンステップ確認のために、どうしても走らなければならない。

とりゃーっ!




志賀の大仏(しがのおぼとけ)




優しさにあふれた阿弥陀如来様だ。

てりゃーっ!





せいやーっ!




金堂基壇(崇福寺跡旧址碑)

だりゃーっ!




たーっ!




う、う、う、うりゃーっ!




あちょーっ!




ふんぎゃーっ!




う~む・・・
左ステップが気になる。
滑るし少し垂れているのかもしれない。


2021年2月14日日曜日

思い出を訪ねて走ってみました。

mumuさんの「今日のお散歩」を読んだわたくしは、昔の事を懐かしく思い出したのでありました。

記事を読んでると、私が走ってた頃とは入口が違うようだ。
今はもうすっかり下手くそになったのでその道を走れるとは思えんが、昔の入口がどうなってるかだけでも見てみたい。
それ!




ほれココ。
入口の一つです。




幅30cm~40cmくらいか?




反対側から見るとこんな感じ。
ここをバイクで渡ってたなんて、当時は本当に感覚がバカになってたようです。
今となってはとてもじゃないが渡れません。




渡った先は工事中で、昔の道は無くなってました。




ので、反対側から入ってみました。




こちら側は道が残ってました。
送電線の巡視路としてか?

このまま進んでも、先ほどの丸太橋までの道は無くなってる筈ですので、ここで引き返して先へ進みます。




てっ!
記憶にない池だ。
20年の間に出来たのか?

<追記>
国土地理院の地図で確認したところ池は存在してました。
1997年までの地図と現在の地図を見比べてみたら微妙にルートが変わっていました。

がしかし、案内板を見ると道は間違ってないようだ。
もう少し入ってみよう。




う~む・・・

この先は階段。
今日はこれくらいにしといたらー (´;ω;`)ウゥゥ


2020年12月6日日曜日

ちょっと出かけてみた。

11月23日に走ったきりエンジンを掛けてないので掛けてみた。
我がTLRは不思議な事にチョークが無い
なのでチョーク無しでキック一発。
トットットッと回り出して停止。
その後数回トットットッとエンジンを温めて暖気終了。
絶好調!なのか、セッティングが濃い!のか?
まま、気にする程の事では無い。
絶好調と言う事にして何時もの小関峠まで走る。




落ち葉が降り積もった舗装道路でターンをしてみた。
何年乗ってもTLRは乗り難い!
クラッチを繋いだ瞬間どうしても飛び出してしまうのだ。やはり一次減速比3.333はオレには早すぎる。
なぜTLRは一次減速比が3.333なのだろう?TL125やRTL250Sの4.055のままでは駄目だったのだろうか?
200㏄なので高速走行を楽にするためだろうか?
不思議でならない。
とは言うものの、3.333は現代のバイクとほぼ同じ減速比。
TLRに乗れないと言う事は現代のバイクにも乗れないと言う事だ。
金は余らかしているのだが、現代のバイクを買うのは止めておこう。(笑)




と、2年前?3年前?の台風で通れなくなった道です。




嬉しい事に伐採していた。
来年には通れるようになるかも知れない。\(^0^)/


2020年11月15日日曜日

出血大サービス

今日は朝からお出かけ日和。
午後2時過ぎに出かけてみました。
奈良街道を南下。
日野~長坂峠~炭山~笠取~横嶺峠と走って京都国際ゴルフ場。




って、ソーラー発電所です。
まさかゴルフ場が無くなるとはね~ 思いもせなんだ。




ゴルフ場の外れから昔からの道(登山道)なんですが、今はジープが走ってるようで荒れてました。
面白そうだ。
昔だったら喜び勇んで突っ込んでいったのですが、今ではちょっと怖い。
ので此処でUターン。




と、発電所内に鹿が2頭入ってました。
厳重に締め切られてるのにどうやって入るんでしょうね~

山の日暮れは早いので近道で帰りましょう。




ここは昔のお散歩道。
言わばトライアル車にとっての国道です。
以前は週1、週2で通ってました。
ここで空気圧をトライアル用にしてと・・・
それっ!

ガチャン!
下り始めて直ぐのV字溝でコケた。
くそっ!なんでやねん!!
ああ、指が痛い。
でまた少し下り、止まって思案・・・
あんな所でコケるようではアカンかも・・・
怖い・・・

情けないが引き返す事にした。
で、空気圧を下げた所まで必死で帰り、グローブを外してみたら、
シートに血が・・・




えっ!
血だらけですやん。

これはもう、股関節が固いからとか足が短いからやとか言い訳をしてる場合じゃないな~
必死で練習するかバイクを止めるかやな~

良し!必死で練習しよう!(*´Д`)ウソコケー