2008年9月13日土曜日

長等神社

大津市三井寺町の長等(ながら)神社です。


今まで数百回この前を通ってますが、お参りどころか立ち止まった事さえ有りませんでした。朱色の楼門が立派過ぎて、恥ずかしかったのです。(なんでや!)
が、先週の事です。楼門の横にこんな杭が有るのを見つけました。


天智天皇の頃、須佐乃男命と大山咋命を長等山の頂上に奉り、1054年に現在地に移されたと書いて有ります。
そうと知ったら長等山の頂上に行ってみたくなりました。
長等山園城寺(三井寺)の裏山、354mのピークが長等山のようです。
長等山へは、三井寺の境内を通って藤尾奥町へ越える「坊越」から上るのですが、バイクで境内は走れませんので、林道から「坊越」へ入りました。


分かり難い写真ですが、右側の数本木が有る所に三井寺から上ってきた道が有ります。左に藤尾奥町へ下りる道が有り、この場所が「坊越」です。
柵の右側は近年出来た林道で、柵の左は小関峠からの尾根道です。
画面の左上に斜めに上る道が分かるでしょうか?この道が長等山へ上る道です。
この道は如意ケ岳や大文字へ上る道で、今まで何度も走ってます。唯の山道だと思ってたんですが、最低でも7世紀中頃に出来た道だと思うと感慨深いものがあります。


半分ほど上った所にお地蔵様が居られます。
今まで、なぜこんな山の中にお地蔵様が居られるのか不思議だったのですが、頂上に神社が有ったと言う事で納得できました。
今ではハイカーがたまに通るだけですが、昔は参拝の人が行き交っていた道なんですね。
しかし、今でもお札が置いてあると言う事は、三井寺の関係者が上がってこられてるのかも知れません。


バイクはここまで。尾根伝いに10mほど歩けば354mのピークです。


954年前の事ですので何の痕跡も有りません。何の変哲も無い唯の山です。
しかし、木が無ければ琵琶湖を一望し、大津宮や三井寺が眼前に広がるで有ろう場所でした。
須佐乃男命はこちらの場所が好きだった?かも知れませんね。


13 件のコメント:

ゆおりん17go。 さんのコメント...

2008/9/14  17:08
http://homepage2.nifty.com/yuuo/mii.mp3

三井寺の梵鐘でもお聞きください。
神社でなくて、ごめんねぇ~。。。

http://homepage2.nifty.com/yuuo/mii.mp3

イーハトーブ さんのコメント...

2008/9/14  17:25
歴史の事はまったく分かりませんが、
あの辺は歴史深い所なんですね。
ちょっと周辺の歴史を調べてから、トコトコ走ると見えなかったものも見えてくるかも? でも勉強は苦手なんです。

buratto28go さんのコメント...

2008/9/14  23:48
ゆおりんさん。私のパソコンにQuick Timeなる物が入ってないようで、三井の梵鐘が聞けませんでしたーっ!申し訳有りませーん。
イーハートーブさん。今日も織田信長の城跡を見に行ってきました。明日にでもレポートします。

ゆおりん17go。 さんのコメント...

2008/9/15  6:11
MP3のソフトに対する関連づけをQTではなく、メディアプレーヤーに替えてみるとか・・・。メディアプレーヤーも入ってないならどうにもならないかも知れませんけど(笑)。非常に有名な梵鐘らしいですね。

buratto28go さんのコメント...

2008/9/15  16:16
近江八景の一つで、広重?の浮世絵で三井の晩鐘が有りますね。
で、メディアプレーヤーは入ってるんですが、関連付けとやらが分かりません。自慢じゃないが、あれもこれもパソコンも分かりません。いいじゃないか幸せならば。

ヤマドリ さんのコメント...

2008/9/16  21:38
偶然このブログを見つけました。5葉目のphotoの説明、10メートルほど歩けば…354メートルのピーク? 国土地理院の25,000では4ミリほどで、100メートル。同じ国土地理院の10,000では8ミリで80メートル。なお、10,000では351メートルとなっています。
まあ、たいしたことは無いんでしょうが・・・。

buratto28go さんのコメント...

2008/9/16  23:24
歩いた感覚では10mほどだと思ったんですが・・・
私の使用している2万5千の地図には、この辺りの山道が全く記載されてなくて、私が以前記入した道ですので正確ではないんですよ。ご了解ください。

ヤマドリ さんのコメント...

2008/9/17  8:53
4葉目のphotoを見て思い出したのは、山伏姿の数人が参拝しているのを見たことがあります。また、5葉目のphotoの位置(立木の形と伐採され置かれたた杉で位置が確定できました)から約1.8キロ西に三井寺奥の院?があったようで(今でも石組みが残っています)昔はかなりの人々が通った道だと思われます。
なお、信頼度が高いと言われている国土地理院の地形図でも細かい所ではかなりの間違いの事実を確認しています。

buratto28go さんのコメント...

2008/9/17  18:12
西へ1.8kmと言う事は雨社の手前、航空無線の施設辺りでしょうか?
今までは余り気にしてなかったんですが、あの辺りは大文字城跡や寺跡など遺跡の宝庫?のようですね。
三井寺別院の如意寺の石組みなんでしょうか。長等山から鹿ケ谷まで、東西約8kmの広大な敷地だったそうで、雨社も如意寺の敷地のよう。調べれば調べるほど、ビックリする事ばかりです。面白い。
しかし、山伏姿でお参りされてましたか?さすが天台宗の裏山ですね。

ヤマドリ さんのコメント...

2008/9/17  22:04
現在は京都市域と思われる。航空無線施設の南西約300メートル。小ピークを回る林道の首から西北への山道を150メートルほど入った所です。
なお、付近(大津市内)の地図はネット検索「Mytownおおつ」で。航空写真もあり、小径も含め、かなり詳細に分かります。しかし、その情報によりますと例の長等山はピーク354(351)ではなく、反対の西側、あるいは400メートルのピークの2カ所に表示されており、真相は?です。

buratto28go さんのコメント...

2008/9/17  22:52
情報有難うございます。大変参考になります。長等山の位置はどうも曖昧なようですね。
私の考えは、大津の宮の裏鬼門を守るために奉られた筈なので、錦織からも見えやすい位置で南西になる所は、354mのピークが一番自然なんじゃなかろうかと考えてるんですが、如何でしょうか?

ヤマドリ さんのコメント...

2008/9/18  9:34
仮説・私説…長等山と名のつく特定の山は無い。大津市の北西山域の総称。でなければ所在ははっきりしている「長等公園」や施設「長等の里」の位置が矛盾する。
これは、比良山という特定のピークは無いのに比良山系を比良山と言っているようなものと・・・。
いつづれにせよ今の実生活とは直接関わりがないのに、里山や峠道の歴史は、私に不思議な魅力を与えてくれるかけがえの無いすばらしい宝物です。

buratto28go さんのコメント...

2008/9/18  12:32
私も、ヤマドリさんの仰る通りだと思います。
大津城に京極氏?が篭城した時に、西軍が長等山から大砲を打ち込んだそうですが、わざわざ354mや408mのピークまで大砲を持って上がるとは考え難いですよね。また、408mのピークからだと大津城の本丸までは3km以上の距離ですので、当時の大砲では届かないように思えます。で、大砲を打ち込んだと言う長等山は長等公園辺りなんじゃないでしょうか。
つまり、色んな場所を長等山と言ってる?ようですね。