2013年6月17日月曜日

旧山中越(志賀越)

以前から気になってる道の事です。


国土地理院 ウオッちず

オレンジの道が旧山中越(志賀越)です。
このオレンジの部分については何の疑問もないのですが、オレンジの道から分かれる黄色い道に長年疑問を感じてました。


オレンジと黄色の分岐点に立てられた案内板です。
ここから馬頭観音に向かって走ると・・・


道なりに真っ直ぐ行くと切り立った崖になり、道が途切れています。
で、バイクが向いてる方向に無理矢理階段がつけてあり、その階段を下ると・・・


馬頭観音です。
この先に道は有りません。
階段で下った僅かなスペースにぽつんと祭られているのです。
とても不自然で、これはおかしい!道が有った筈だ!と、ずーっと思ってたんです。
しかし、そうそう古い地図で確認出来る筈も無く諦めてたんですが、世の中は探せば出てくる?インターネット時代。
これです!


国際日本文化研究センター 所蔵地図データベース1931年(昭和6年)京都東北部より

思ってた通り道は繋がっていました。(青い部分が失われた道です)
これを見ると、こちらの道も旧山中越のように見え、馬頭観音が祭られている事も納得できます。

では何時頃道がなくなったのか?

比叡山ドライブウエイの開通が1958年(昭和33年)4月18日だそうですので、現在の山中越(京都府道・滋賀県道30号下鴨大津線)が出来たのもその頃になる筈。
その新しい山中越に面した土地が削り取られているので、1958年以降に土砂の採取が行なわれたんじゃないかと想像します。
それも旧山中越と思われる道まで削っているところを見ると、かなり悪質で違法採取だったのかも知れません。
以前は白川砂・白川石の違法採取が多かったですから、同じような事だったのかも・・・


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