2013年1月4日金曜日

長年の疑問解明

山科は古来より交通の要衝で、私が小学生の頃には、名神高速道路、東海道新幹線、現国道1号線(五条通)、外環状線と矢継ぎ早に建設されました。


東海道新幹線音羽山トンネルの山科側です。
入り口の上を横切っているのは名神高速道路です。
右側の木が茂ってる場所に、作業員宿舎が立ち並んでいました。難工事だったようで、何名かの方がお亡くなりになってます。何処かでネームプレートを見たような気がするのですが、記憶が定かでは有りません。

この写真を撮影してる陸橋?高架?は当時から有りまして・・・


トラックの先、坂を上りきったところが陸橋?高架?です。
当時この辺りには家屋の一軒も無く、山側は竹林で変に広い地道でした。
その頃は、トンネル工事の資材運搬のために作ったんだろうと思ってたんですが、後年此処は東海道線の跡地だったと知りました。
大正10年までこの道を蒸気機関車が走ってたんです。
どうりで妙に広く感じたんですね。

で、坐骨神経痛対策でこの道を歩いていたら・・・


妙見寺の塀にこんな案内板が取り付けてありました。
この案内板は、山科区役所発行の「区民が選んだ魅力を訪ねて 京都山科 東西南北」と言う冊子に掲載したものからだそうです。


トンネル跡は、住宅の土台の下に有りました。
東海道線の痕跡は、'70年頃?の道路転用と周辺部の宅地化ですっかり無くなってしまったと思ってたんですが、僅かに残ってたんですね~

ここからが本題。「長年の疑問解明」です。

先ずは2008年12月5日に書いた旧東海道本線追分辺りをご覧ください。

長年の疑問の答えが、冊子の(五)東海道線の中にありました。(右クリックして、マーキーズームで拡大すると読みやすいです)
また小山一石畑付近の名神高速道路の北側にある市道小山四ノ宮線も廃線跡で・・・と書いて有ります。

やっと疑問解明!十代の頃に感じた違和感は正しかったんです!
ああ~ すっきりした!


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